2022.08.28 17:00
第3部 中世期に活躍した人々
⑥エラスムス
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
著作通して教会改革
ヒューマニズムの王者デシデリウス・エラスムス(1466-1536)。彼は著作活動を通じて当時の腐敗したキリスト教のあり方を問いただし、教会改革を成そうとした人物で、宗教改革の当時から「エラスムスが卵を生み、ルターがこれを孵化(ふか)した」といわれてきました。
聖書を校訂 神学刷新目指す
彼は宗教改革者ルターとの関連で論じられることが多くあります。エラスムスがカトリック教会の内部に留まって改革を目指そうとしたのに対して、ルターは信仰的な激情に駆られ、ローマ法王庁と敵対関係を生じさせ、結果的にキリスト教を旧教と新教とに分裂させてしまいます。
この問題については後述することにします。
さて、エラスムスは神父の私生児としてオランダのロッテルダムに生まれました。幼くして孤児となり、18歳で共同生活兄弟会(学校)に入学。厳格な校風の中で勉学に励み、特にラテン語の習得に力を入れます。
このラテン語習得は、後に彼が全ヨーロッパを股にかけて著作活動を行うための基礎となります。
30歳のエラスムスはパリでイギリス青年を相手に個人教授を始め、その弟子から英国行きを勧められ、33歳で渡英。トマス・モアやジョン・コレットらと知り合います。オックスフォードは自由で大胆な神学を打ち出しており、その影響を受けます。それまでの彼はカトリック社会内で出生の秘密をうわさされ、旧態依然の因習の中で抑圧されて生きてきました。ところが英国では過去を問われず、彼は知識人としての尊敬を集めたのです。
英国で刺激を受けた彼は、パリに帰って『古典名句集』『キリスト教兵士必携(エンキリディオン)』を出版、ベストセラーとなります。彼こそベストセラーを生み出すことで生計をまかなった最初の著述家でした。
さらに彼はギリシャ語を習得する中、古典学者ヴィラが聖書の本文に書き加えた批評的注釈の写本を発見。それは当時の教会が公認したラテン語聖書の欠陥を指摘するものです。4世紀末にラテン語聖書を校訂し始めた聖ヒエロニムスの作業の不完全性は、当時の神学界で知られていましたが、その事実を裏付けるものでした。
エラスムスは聖書本文の校訂を決意、それによって聖書と古代教父(特にアウグスティヌスやオリゲネス)の著書を正しいテクストで読むことで、硬直化しているカトリック神学を刷新することを目指すのです。
カトリックの風刺本 改革の気運つくる
このエラスムスによる聖書本文の校訂作業は、大きな波紋をカトリック社会にもたらしていくこととなります。
そして、当時のカトリック教会の腐敗ぶりをするどく風刺した『痴愚神礼賛』を出版。彼はこの書によって人心をつかんで、教会改革の気運をつくり上げたのです。その気運の中で、宗教改革者ルターが登場するのです。
エラスムスもルターも共に教会を改革するという目標をもっていました。しかし、いよいよ法王庁と対立したときに、その改革達成の解決策が異なっていたのです。エラスムスは宗教会議派の考え方に立ち、教会の権威を法王ではなく、宗教会議に置いて、その会議によって間違いを指摘。それによって法王庁に反省を与えようとするもので、教会分裂だけは避けたいとする考え方でした。
それに対しルターは、「ただ神とキリストに服従し、世俗のいかなる権威にも屈せず。しかる時は教会の分裂さえも辞せじ」という考え方に立っていました。
サタンが侵入すれば、復帰摂理においては当然「サタン分立路程」が必要です。ルターの宗教改革はそれを成し遂げるために必要でしたが、しかし今なお旧教と新教の分裂が続いている現実は、心痛むところがあります。
統一原理では、復帰摂理には「信仰基台」「実体基台」の両方が必要であると説きます。神と私との信仰基台だけでなく、実体基台という横(隣人)との関係性における一体化が重要です。それも真の愛による「自然屈伏」による一体化です。その実体基台の重要性を知っていたなら、このような歴史的悲劇は避け得たかもしれません。
ルターは信仰基台を重んじ、エラスムスは実体基台を見ようとしていたといえます。両者の和合は、統一原理によってのみ可能であるといえるのです。
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次回は、「イグナチオ・デ・ロヨラ」をお届けします。