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第3部 中世期に活躍した人々
⑤ジャンヌ・ダルク

(光言社『FAXニュース』通巻969号[20041225日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

神の人を迫害してはならない

 フランスとイギリスが百年戦争(13371453)という長期にわたる戦いをしていた時代、窮地に陥ったフランスを救ったのがジャンヌ・ダルク(14121431)です。彼女はフランスの国民的英雄として敬愛され、カトリック教会では聖女として崇(あが)められています。

▲ジャンヌ・ダルク(ウィキペディアより)

カトリックの戒律破り軍隊の先頭に

 ドイツ国境に近いフランス東部の一寒村ドムレミ。その地方には一つの伝説がありました。それは「フランスが危機に陥ったとき、ジャンヌという少女が危機を救う」というもの。ジャンヌの元の名はジャネット。

 信仰心の篤い農家に生まれ育ちました。ジャネットは、13歳のときに天使ミカエルから啓示を受けます。そのとき、伝説の少女が自分であることを知らされるのです。

 彼女はとても驚き、それを秘密にしました。人々は疑い、あざ笑うだろうと恐れたからです。15歳のとき、彼女はジャンヌと改名。啓示は4年にわたって続き、彼女は自分に重大な使命があることを自覚していきます。それは、フランス皇太子シャルル7世を援助し、女の男装を禁じるカトリックの戒律をあえて破って、彼女自らが軍隊の先頭に立つこと。そして、戴冠式を行うために皇太子をランスに連れていくことなど、天の啓示は日増しに具体的な指示になっていくのでした。

 彼女は泣いて訴えます。「私は馬に乗ることも戦うことも知らない百姓の娘にすぎません。自分が受けた使命をどうやって皇太子に確信させるのですか」と。しかし天上の声は、「これは神様の命令である。なすべきことは次々と教えるから安心せよ」と告げるのです。

 14285月、ジャンヌは遂に意を決し、おじ(いとこの説も)と共に城に行き、守備隊長に直訴します。しかし隊長は彼女をあざけり、追い返してしまうのです。するとどうでしょう。フランスの戦況が悪化していくのです。そこで守備隊長は「もしかすると彼女は神が遣わした人では…」と考え、ジャンヌに戦闘具を与え、またおじは馬を準備し、皇太子のもとに遣わします。

 宮廷では、皇太子は彼女に分からないよう変装し、臣下の中に紛れ込んでいました。ところが、彼女はまっすぐ皇太子に歩み寄ってひざまずき、神様から受けた啓示について皇太子に告げたのです。

宗教裁判で火刑 19歳の生涯

 こうして、イギリス軍の厳重な包囲を受けていたオルレアン市に向けてジャンヌ率いる6000人の軍隊が出動。敵軍を急襲して、わずか2日間でオルレアン市を解放し、フランスの手に取り戻したのです。これは奇跡の勝利でした。その後、ジャンヌは戦勝を重ね、遂にランスを解放し、14297月シャルル7世の戴冠式を挙行します。彼女の受けた啓示がことごとく成就していくのです。

 ところが、敵軍が完全撤退してもいない時点で、シャルル7世と臣下は和平協定を結ぼうとし、フランス全土を奪還しようとするジャンヌと対立します。戦いを続けるジャンヌにフランス軍はほとんど支援しません。

 14305月、遂にジャンヌはイギリス軍に捕らえられます。

 神の啓示に忠実に歩んだジャンヌですが、やがて宗教裁判で男装の罪、魔女の嫌疑がかけられ、1431530日、火刑に処せられます。19歳の生涯でした。

 彼女の死後、裁判がやり直され、彼女の無罪と名誉回復が宣言されます。彼女は神が立てた人物です。生きているときに、彼女が国王と臣下に支持され、守られていればどんなにかよかったことでしょうか。

 ジャンヌの生涯を思うとき、私たちは、神の願いに反し、神が立てた人物を迫害してしまうことがあり得ることを肝に銘じておかなければなりません。そうでないかぎり、自分なりの信仰観で判断して、神の人を迫害してしまうかもしれないからです。イエス様も「預言者たちも、同じように迫害された」と言われました。

 私たちは「神の人は栄光の道を歩むはずだ」と考えやすいものです。しかしそうではないことをジャンヌの生涯は物語っています。真のお父様も迫害され、無実の罪でダンベリー刑務所に収監されました。キリスト教が早くそのことに気付き、真の父母様に対して正しい判断をするよう願わざるを得ません。

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 次回は、「エラスムス」をお届けします。