2022.08.14 17:00
第3部 中世期に活躍した人々
④トマス・アクィナス
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
神学を集大成 神学大全著す
ローマ法王庁が最高権力を誇った13世紀、イタリアにトマス・アクィナス(1224-1274)が現れました。彼は神学を重んじるドミニコ会修道士として活躍するなか、神学を集大成した『神学大全』を著し、その思想は現代においてもなおあらゆる考え方の土台となっています。
托鉢修道会が信仰を刷新
トマスは5歳でベネディクト会の修道院に預けられ、勉学に励みました。16歳のとき、修道士になることを決意。それを両親に打ち明けると、両親は立身出世を考慮し彼をベネディクト会に入れようとしました。しかし、自分の地位名誉を求めないトマスは托鉢(たくはつ)修道会のドミニコ会を希望し親と対立、そして家族に内緒でドミニコ会に入会してしまいます。それを知った母は激怒。彼は家族のもとで、1年間の監禁生活を余儀なくされたのでした。
後に彼は「もしも両親への尊敬が神様の礼拝を邪魔するならば、そのとき両親に対する義務を果たそうと思って、神様に背いてはならない」と述べています。
その後、彼はパリ大学にてアルベルトゥス・マグヌスのもとで勉学に励みます。巨体で無口だった彼は、当初、学友から知的に障害があるのではないかと思われ、「唖(おし)の牛」というあだ名を付けられます。しかし彼の卓越した才能を知ったアルベルトゥス・マグヌスは、「われわれはこの者を唖の牛と呼んだが、いつか全世界が彼の偉大な言葉に耳を傾けるであろう」と予言したと言われます。
さて、トマスが活躍した時代はローマ法王庁に陰りが見え始めたころでした。そのような中で、フランシスコ会やドミニコ会などの托鉢修道会が現れ、信仰の刷新がなされようとしていたのです。パリ大学では使命感に燃えた托鉢修道会の教授たちが人気を集めていました。
しかし、それを快く思わない教区聖職者教授団がドミニコ会やフランシスコ会に対し、攻撃を仕掛けます。彼らは「托鉢修道会の修道士は、肉体労働ができるのにそれを避けて喜捨(きしゃ)に頼り、社会の厄介者になっている」と批判。托鉢修道会の存続自体を疑問視したのです。
トマスはそれに対し「肉体労働は万人に課せられた道徳義務ではない。説教などの霊的活動は善の社会実現に寄与するもので、その活動に専従する者が当の社会によって生活保障されるのは当然」と反論しました。
当時のカトリック教会内部では、立身出世や名誉欲、利権などをめぐって聖職者や神学者、教授同士が激しく争い合う状況があったのです。
この時代、卓越した思考能力を持ち、かつ欲心のないトマスが現れなかったら、托鉢修道会の存続さえ危ぶまれていたかもしれません。
「啓示に比べると著作は藁くず」
ところでトマスは、アリストテレスの哲学を用い、神学と哲学の総合、および体系化を試みました。彼の思索の集大成である『神学大全』は大きく3部に分かれており、全部で512項目の問題を含み、そのもとに2669の項目から構成されています。彼は神学を論じるに際し「倫理的な事柄」を扱う第2部に力を入れており、512項目の内303という半分以上を、第2部で費やしています。
彼が神を主題とする著作の大半を倫理的考察に充てたのには理由があります。彼は第2部の序言で、第2部の主題は「神のかたどり(似姿)」としての人間であると述べています。それは、創造性を持った人間という能動的な意味から、神に似ている人間を意図したものです。
つまり、彼は第1部で神と創造について論じ、第2部で「神のかたどり(似姿)」としての人間が、神に向かって歩んでいく道を詳細に論じることを通して、真のキリストの認識に到達できると考えており、そうした上で、第3部においてキリストおよび救いについて論じていくことを意図したのでした。しかし彼は第3部の途中、突然断筆し、『神学大全』は未完に終わりました。
断筆の理由は今も謎です。その後、彼は「私が見、啓示された事柄に比べると、私が書いたことは藁(わら)くずに見える」と語ったと伝えられています。結局、キリストの実体と出会うことに比べれば、億兆万の言葉を尽くしても、それは藁くずにも等しいということでしょう。
トマスの断筆を思うとき、私たちが生きて再臨のキリストに出会えたことの貴さを思わざるを得ません。
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次回は、「ジャンヌ・ダルク」をお届けします。