2022.08.28 05:00
至誠感天 家和万事成 193
一をもって十とみなす
今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)
第三章 信仰生活の四大指針
(四)献金の意義と捧げる姿勢⑩
十分の一献金は何かというと、「一」をもって「十」とみなすのです。もし皆さんが、父母の誕生祝いや還暦祝い、あるいは王の誕生日を迎えて祝賀してさしあげるために、牛を屠(ほふ)り、豚を屠り、あるものないものすべてつくって捧げたとき、その方たちがそれをすべて食べますか。食べません。受け取ることはすべて受け取りますが、すべてを食べることはできず、ほんの一部しか食べられません。しかし、このように少ししか召し上がらなくても、すべて召し上がったという条件が立てられるのです。
これと同じように、十分の一献金は、所有している物の十分の一を神様に捧げることによって全体を捧げる、という意味をもっています。父に全体を捧げるのではありませんが、その中の十分の一を、精誠を込めて捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱えるようになります。このように十分の一献金を捧げて生活する人は、絶対滅ぶことがありません。日がたてばたつほど、倉庫がいっぱいになっていくのです。(31-239、1970.6.4)
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明日は、「一番貴いものを捧げる」をお届けします。