2022.08.27 05:00
至誠感天 家和万事成 192
祭物は私の身代わりである
今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)
第三章 信仰生活の四大指針
(四)献金の意義と捧げる姿勢⑨
祭物を捧げるときは、汚れていないものを捧げますか、使い古したものを捧げますか。清いものです。なぜそうしなければならないのでしょうか。サタン世界の汚れていないものを取ってこなければならないからです。天の世界の汚れていないものを、誰が奪っていきましたか。サタンが奪っていったのです。ですから、神様の前に精誠を尽くすとしても、汚れていないものをおいて精誠を尽くさなければなりません。そうしてこそ、神様と関係を結ぶのであって、使い古したもので精誠を尽くしてはいけません。
ですから、祭物を捧げるには、聖なる物を捧げなければなりません。息子を祭物として捧げなければならないとするなら、どんな息子を祭物に捧げなければなりませんか。憎い息子ですか。望みのない息子ですか。そのような息子は、祭物にはならないのです。一番良い息子でなければなりません。なぜですか。祭物は「私」の身代わりだからです。(48-84、1971.9.5)
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明日は、「一をもって十とみなす」をお届けします。