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創世記第2章[4]
1、2章は同時並列的内容

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 前回述べたように、創世記第1章と第2章は天地創造の物語をそれぞれ別の観点から描き出した、並行記事であると言えます。
 ゆえに、私たちが読んでいる聖書は第1章の天地創造の物語が完結した後で―つまり、神が7日目に休まれた後に――2章のアダムの創造から始まる天地創造に続いていきます。
 しかし、時間的流れで言えば、第1章と第2章は同時並列的に進行している物語であり、第1章が時間的に第2章に先行している訳ではないことを理解しておかねばなりません。

神様の創造は自己相似形?
 『原理講論』に「神は男性のアダムを創造されてのち、『人がひとりでいるのは良くない』(創二・18)と言われ、その対象として女性のエバを創造なさったあと、初めて『はなはだ良かった』(創一・31)と言われた」(43ページ)と論述されていることからもそのことが言えます。

 実は、この聖書の文脈(文章構成の順番)と時間的順序とが一致するのか否かは、聖書解釈上、重要な問題を含んでおり、おいおい論じていく内容ではありますが、エデンの園および失楽園の物語を解釈するとき、カトリックはそこに性の問題をからめて解釈したのに対し、ルターを出発点とするプロテスタントは性を排除して解釈するといった違いを引き起こす要因となりました。この問題については後日、論じていく予定です。

 さて、創世記第1章と第2章の物語をミックスさせて整理してみると下図のようになります。

 復帰摂理とは再創造の摂理であり、それが創造原理に基づいていることを考えるとき、ちょうど神の復帰摂理が象徴・形象・実体路程へと展開されるのと同様、神の創造の摂理も象徴・形象・実体へと進展されていったと見ることができます。

 そこで、一つの聖書解釈の可能性として――あくまでも可能性の一つとして――言えることは、創造過程における「フラクタル性」ということについてです。

 フラクタルとは「自己相似形」と翻訳されたりしていますが、自然界の複雑形を解明するためのキーポイントとして最近にわかに注目されている理論の一つです。この言葉はベノワ・マンデルブローが新造した言葉で「全体にわたってそうであり、どんなスケールで見ても自己相似で接近し拡大して見ると、遠くからは構造がなく思えていた小部分が、全体を概観した形と同じものとなる」様相のことを言います。

 確かに、単純な線や図形などを際限なく繰り返すことによって、自然界に実在するさまざまな存在物や事象をリアルに描くことができる事実から見ても、自然界はフラクタル(自己相似形)によって形づくられていると考えられます。

被造世界は三段階構造
 図表を見ながら読めばより分かりやすいと思いますが、この図表にはフラクタルのような現象が見え隠れしているとも解釈できます。例えば、人間の地上生活は蘇生・長成・完成の三段階を経て完成しますが、全体を見てもエデンの園(環境づくり)・動物界の創造・人間の創造という三段階になっています。

 また、人間の地上生活の蘇生期はいわばエデンの園という家庭から始まり、長成期に陸海空を動き回る動物のように外界へ出て行き、大きく羽ばたき、完成期には四位基台を確立して社会の基礎(結実体)である家庭を完成します。

 一番下の「エデンの園の創造」の三段階を見ても、まず光(昼)と闇(夜)という生活の場(基礎)ができ、次に大空と海、最後に実を結ぶ木が創造されますが、この実を結ぶ木とは人間のことを表しています。また創世記では4日目に太陽が造られますが、これは人間が肉身生活を終えて行く霊界で、燦然(さんぜん)と輝いておられる神様を表しています。

 また、動物界の創造過程そのものが、人間の胎中生活での肉身の形成過程と相似しているとともに、動物界もまず単純に光によって生存(光合成)する目に見えない単細胞から始まり、次に海を自由に泳ぎ回る魚と大空を自由に羽ばたく鳥、そして陸上の動物へ創造が移っていき、やがて人間に相似した猿科の動物、そして最後に人類が出現するなど……

 その他、図表を見ながら(想像力を豊かにして)いろいろと推理すれば、それぞれの個所にさまざまな次元での相似形が見えてくると思います。

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 次回は、「創世記第2章[5]創世記の成り立ち」をお届けします。