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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 2
誰でも幸福を求めている

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾として、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を週刊連載(毎週木曜日配信予定)でお届けします。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第一章】真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です

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 真(まこと)なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだことはなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。愛の道が難しくて涙があふれ、膝(ひざ)をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。(自叙伝:56ページ)

 愛の本質とは何でしょうか。愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為(ため)に生きることです。与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。(自叙伝:220ページ)

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誰でも幸福を求めている
 人間は誰もが幸福を求めて生きています。結婚するのも幸福のため、子供を生み育てるのも幸福のためです。また、子供が良き伴侶と結ばれてかわいい孫の顔を見るのも幸福のためです。人生の目的は、たった四つの文字、「しあわせ」を得るためと言っても過言ではありません。

 ところが、五本の指を使って何でもつかめるはずの人間が、「しあわせ」を簡単にはつかめません。つかんだと思って、手を離してみると、なんと、「し」の前に「不」がついているではありませんか。つかんだのは、「ふしあわせ」だったのです。

 では、どうしたら幸福を得ることができるのでしょうか。

 それがあったら、絶対に幸福になれるものとは何でしょうか。

 人が「あなたにとって幸福とは何ですか?」と聞かれたとき、間髪を入れずに口から出る言葉が、その人の真実の幸福観といえるでしょう。

 あるご主人に「あなたが最も大切にしているものは何ですか?」と聞いてみました。その方は、「ゴルフ道具だよ」と答えました。ちなみに、二番目は「釣り道具」でした。妙に道具にこだわるご主人でした。しかし、最後まで、奥さんの名前は口から出ませんでした。

 ある奥さんに、「あなたにとって一番大切にしている人は誰ですか?」と尋ねてみました。
 間髪を入れずに出たのは、「はい、ヨン様です」でした。ヨン様を最初に出されたら、ご主人には到底出る幕はありません。

 それはともあれ、一般的には、「健康」と答える人が多いようです。

 病弱や病気の人から見れば当然のことと言えますが、健康であれば、絶対に幸福になれるのでしょうか?

 意外なことに、不幸な人に健康な人が多いのです。健康だけれど不幸な人はたくさんいるのです。今、この本を読んでいる、あなた自身が、健康なのに不幸を感じていれば、その中の一人といえます。

 たとえば、日常茶飯事のようにけんかする夫婦は、幸福とは言えないでしょう。しかし、考えようによっては、けんかができるということは、夫婦とも健康な証拠なのです。往々にして夫婦げんかは口げんかから始まりますが、口が達者だからこそけんかができるというものです。夫婦共に口が健康だからこそ、けんかができるのです。

 ある奥さんは、言ってはいけない言葉を、言ってはいけない時に、絶妙なタイミングで、夫にぶつけます。口と言葉の健康優良児(?)と言ってもいいでしょう。この場合、奥さんが不幸にならないためには、口内炎にかかっていたほうがよかったのです。口が病気であったほうが、不幸にならなかったのです。

 ところで、世の中には、自分が不幸になるだけではなく他人をも不幸に陥れる人がいます。いわゆる犯罪者です。この犯罪者もすこぶる健康な人たちです。例えば、オレオレ詐欺をする者などは神経の働きはすこぶる健康なのです。頭の回転が速くなければ、悪知恵が働きません。また足が速くなければ、警察から逃げ切れません。泥棒だけを集めて陸上競技をしたら、好記録が続出するかもしれません。

 こう考えてみると、健康だからといって必ずしも幸福になるとは限らないようです。健康は幸福の一つの条件とはいえますが、決定的要素とはいえないのです。

 では、何が幸福の素(もと)なのでしょうか?

 ある人は、「それは決まっているでしょう。お金ですよ」と断言しました。

 「お金さえあれば、幸福になれる!」

 なんとなく納得してしまいそうになる答えです。

 もちろん、基本的な生活を営むためにはお金が必要です。また、豊かな生活をするためにも、お金は必要不可欠です。
 しかし、お金さえあれば、絶対に幸福になれるのでしょうか? 現実には、お金があっても、不幸な人は多くいます。生活が豊かでも、不幸を感じている人も大勢います。貧しい時には、肩を寄せ合って仲良く暮らしていた夫婦が、念願の良い住居に住んで、生活にゆとりができてから、亀裂が生じてしまう場合もあります。

 かつて、「名もなく貧しく美しく」(松山善三監督)という映画があり、多くの人の涙を誘いました。主演は、名女優といわれた高峰秀子さんでした。二〇一〇年の暮れに亡くなられました。

 映画は実話に基づいて制作されたそうです。内容は題名のとおり、地位も名誉もお金もない極貧の夫婦が、愛し合い支え合って生きていく感動的なストーリーです。この夫婦にはお金などの幸福の条件は、何もありません。夫婦で靴磨きをして、細々と生計を立てているのです。そればかりではありません。この夫婦は、言葉が語れず、耳が聞こえないのです。もし、幸福には健康が絶対に必要というなら、この夫婦は間違いなく不幸といえます。しかし、「美しく」生きた夫婦なのです。映画の中で次のような、とても印象的な場面があります。夫婦が手話で話し合う場面です。正確ではありませんが、こんな会話だったと思います。

 「私たちは口もきけず、耳も聞こえないのに、とっても幸福ですね。でも、世の中には、口も聞けて耳も聞こえるのに不幸な人たちがたくさんいます。どうしてだろうね?」

 「私たちに何かしてあげられることはないだろうか」

 こうしてみると、健康もお金も、条件とはなれても、幸福の素にはなれないようです。
 では、何が幸福の素なのでしょうか?(続く)

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 次回は、第一章の「真の愛の二つの特色」をお届けします。


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