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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 3
真の愛の二つの特色

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾として、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を週刊連載(毎週木曜日配信予定)でお届けします。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第一章】真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です

真の愛の二つの特色

 多くの人は自分や家族が幸福になるために生きています。ところが、自叙伝『平和を愛する世界人として』(創芸社)の著者、文鮮明(ムンソンミョン)先生は人々の幸福のために生きておられます。少年の頃から、「人々に幸福をもたらす者になろう」と決意し、「人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人」(58ページ)になることを生涯の目的として生きておられるのです。その文鮮明先生が、幸福の素として悟られたのが、「真(まこと)の愛」だったのです。

 では、なぜ愛とは言わず、「真の愛」と言われるのでしょうか?

 幸福の素となるのは、間違いなく愛なのですが、実は、愛には、愛すれば愛するほど幸福になる愛と、場合によっては不幸をもたらす愛の二つがあるからなのです。

 愛には幸福をもたらす愛と、不幸をもたらす愛がある?

 ちょっと奇妙に聞こえるかもしれませんが、現実を考えればすぐに納得できます。

 深く愛し合った結果、心も体も傷つき、不幸になっている男女が多くいるではありませんか。激しく愛し合った末に、怨みや憎悪を抱く関係になってしまう場合もあります。

 「愛しさえしなければ、こんな苦しみを味わわなくて済んだのに……」と後悔する人もいます。愛し合って結婚したはずなのに、憎み合って破局を迎える夫婦もいます。幸福を求めて愛し合ったのに、怨みを抱き合う関係になってしまう人たちも多くいます。

 一体、なぜなのでしょうか? 文鮮明先生の見解から言えば、それは、「真の愛」ではなかったからということになります。

 愛のあり方について、紙幣を例に挙げて考えてみましょう。

 紙幣は生活に欠かせない貴いものです。多ければ多いほど、生活におけるさまざまな欲望を充足させてくれます。ただし、それは日本銀行が発行した本物の紙幣に限ります。真の紙幣のみなのです。

 もし、その紙幣が偽物だったらどうでしょうか? 偽札は、一見すると、真の紙幣と同じ形状をしています。だから、いくらでも使うことができます。しかし、それは明らかに犯罪です。発覚すれば、逮捕されて刑務所で苦しむことになります。不幸になるわけです。

 つまり、本物の紙幣だけが幸福をもたらし、偽札は不幸をもたらすわけです。

 同じように、愛にも、真の愛と真でない愛があるとしたらどうでしょうか?

 真でない愛は、愛し合っても、本物でないので、結果として不幸をもたらすことになります。それゆえ、文鮮明先生は、「真の愛で愛し合った場合にのみ、本当の幸福になれる」と断言されるのです。

 では、真の愛にはどんな特色があるのでしょうか。

 文鮮明先生によれば、真の愛には二つの特色があるのです。(続く)

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 次回は、第一章の「愛することを先立てる」をお届けします。


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