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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 1
はじめに

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾として、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を週刊連載(毎週木曜日配信予定)でお届けします。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

はじめに

 誰しも幸福を求めて生きています。では、どうしたら幸福は得られるのでしょうか? さまざまな見解があると思いますが、最も大切なことは、自分自身の心のあり方ではないでしょうか。幸福になれる心、幸運を引き寄せる心を持つことなのです。

 しかし、幸福になる心を持って持続することは簡単なことではありません。もし、誰もが容易にできることなら、とっくにこの世は幸福な人だけの住む世界になっていたことでしょう。なぜ簡単ではないかというと、私たちの心には、もう一つ厄介な心があるからです。幸福になれる心に挑戦し、幸福への道を妨げる強力な心があるのです。幸福になれる心を打ち砕き、不運を引き寄せる心が、蠢動(しゅんどう)しているのです。

 嫉妬の心、憎しみの心、怨みの心、自己卑下の心、人を見下す傲慢(ごうまん)な心、血気怒気の心などです。これらの心に捕らわれ、翻弄(ほんろう)され、ついには弄(もてあそ)ばれて、不幸になってしまっているのです。

 幸福になれる心は、一言で言えば、愛する心ですが、一方では、愛を疑い、愛せない心が強くなって憎しみに変わってしまうことがあります。私たちはこの二つの心の狭間で葛藤して生きているのです。しかも、往々にして、不幸にする心が勝利の凱歌をあげているのです。

 幸福になるためには、自分自身の心を変えなければならないのです。不幸にする心を弱め抑制して、愛する心、幸運を引き寄せる心を強めなくてはなりません。そのためには、どうしても、心の修養が必要となるのです。この心の修養の一つが、「文鮮明(ムンソンミョン)先生自叙伝 心の書写」なのです。

 「心の書写」とは、文鮮明先生の自叙伝の中の一つの言葉を紙に書写し続けることです。それを、「心の書写」と言うのは、言葉を書き写すことを通して、文鮮明先生の愛の心を自分の心に書写しようとするからなのです。

(左)四六判「自叙伝」
(右)文庫版「自叙伝」

 文鮮明先生は、朝鮮半島北部の定州(チョンヂュ)にお生まれになり、すでに90歳を超えておられます。幼い頃から幸福と平和の世界を求め、今日に至るまで、休むことなく、世界平和のために献身的に活動されています。その文鮮明先生が自らの生涯と活動を語られているのが、自叙伝『平和を愛する世界人として』です。

 世界平和を求めて真の愛の実践を貫徹されましたが、多くの誹謗を受け、迫害されました。愛する者から裏切られ、非難されることさえあったのです。しかし、文鮮明先生は、そのすべてを真の愛で越えていかれたのです。

 自叙伝の序文の中で次のように語られています。

 「生涯六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。真の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、怨讐(おんしゅう/深い怨みのあるかたき、敵)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです」(5ページ)

 全身全霊で愛を注いだ相手から裏切られた時、人は誰でも怨みを抱きやすいものです。しかし、文鮮明先生の真の愛は全く変わることがなかったのです。数多くの怨讐となるはずであった人々と兄弟の絆(きずな)を結ばれたのです。

 私たちは、ともすれば、相手の言動に左右され、憎しみ、怨みを抱いてしまいます。自分を傷つける言葉を受けた時、その人を不信し、許せなくなり、やがて憎みます。夫婦や親子、兄弟、嫁姑(しゅうとめ)の家族関係でさえ、それが生じて苦しんでいるのです。さらに、職場の人間関係、親族や町内の人間関係の亀裂で苦しんでいます。

 私たちが幸福になるためには、幸福も不幸も私の心のあり方次第であることを悟らなければなりません。

 自分よりも、もっと大きな苦難に遭遇しても、怨みを抱かず、真の愛を実践された文鮮明先生と同じ愛の心になれたら、どうでしょうか? 必ず幸福への道が開かれるはずです。

 「自叙伝 心の書写」は、文鮮明先生の愛の心を、言葉を書き写すことを通して、自分の心に移すことなのです。自分の心が、一歩でも、二歩でも、文鮮明先生の深くて広い心に近づく努力なのです。分かりやすく言えば、文鮮明先生の真の愛の心に似ることなのです。

 もし、ある人が人生の苦難に直面して絶望し、生きる希望を失っているとすれば、その人の心はすでに、死んだ心です。しかし、何倍もの苦難に遭遇しても感謝と愛の心を持ち続け、理想の実現のために、勇気を持って挑戦し続ける、文鮮明先生の心は、生きた心です。

 それゆえ、文鮮明先生の「生きた心」を死んでいる自分の心に移植するのが、「心の書写」なのです。「心の書写」による心の移植で、心が蘇生(そせい)するのです。

 今、全国では、「心の書写」で幸福になった多くの証しがたくさん起こっています。

 夫の酒乱と暴力に耐えきれず離婚して、何十年も怨み続けていた婦人が、書写で怨みが溶けて、その夫と再婚し円満な家庭を築いたという証しもあります。どうしても娘を愛せなかったお母さんが、書写を通して、心から愛せるようになったという証しもあります。

 嫁に要求ばかりして不満を抱いていた姑さんが、書写で、自分の非を悟って、嫁の仕事を手助けして、感謝された証しもあります。

 心が良くなって、病気も回復したという証しもあれば、就職や仕事が決まったという証しもあります。

 そのような恩恵に浴した人たちが必ずといってよいほど、語る言葉があります。

 「今まで、相手が悪いと決め付けてきましたが、自分の愛の不足に気づかせていただきました。自分が変われば相手も変わるんですね」

 本書は、全国で講話した内容を整理、編集したものです。自叙伝書写をすでにされている方々が、この書を通して、自叙伝をより一層深く理解して、心の成長に役立てていただければ幸いです。

 また、自叙伝の読者が、心の書写の意義を理解し、書写を実践され、幸福への道を開いてくださることを祈念してやみません。

 文鮮明先生が世界各地で開催された大会で語られた、自叙伝に込められたメッセージを紹介します。

 「私はこの本を通して人類のために天のみ旨がどこにあり、子女である私たち人間が歩むべき道がどこにあるかを詳しく示しています。……この本もまた、訓読教本に引けをとらない実証的次元で真なる真理の人生を見せてくれる教本だと自信を持って勧める次第です。

 天命に従って九十年の生涯を歩んできた私の人生を加減なく収めたこの真の愛の記録をもう一度精読され、大いなる悟りを受けてくださることを願います」

 二〇一一年十一月 浅川勇男

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 次回は、第一章の「誰でも幸福を求めている」をお届けします。


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