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創世記第2章[2]
クリスマスツリー

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 今回は、クリスマスツリーの起源について述べようと思います。
 実は、ツリーは、エデンの園の「善悪を知る木」や「生命の木」と深く結びつけられて解釈されてきました。世界的に著名な神学者オスカー・クルマンは『クリスマスの起源』(教文館)の中で、だいたい次のように述べています。

ツリーは「生命の木」と「善悪を知る木」
 「中世の伝統として、クリスマス・イブには二つの『神秘劇』が演じられていた。第1幕が『失楽園の物語』であり、そこにはアダムとエバ、悪魔と楽園を警護する天使ケルビムが登場し、舞台には罪の誘因となった『善悪を知る木』が立てられていた。その『善悪を知る木』とはリンゴの木ではないか?と考えられていたが、冬に、見目麗(みめうるわ)しいリンゴの木を見つけることは困難だったため、常緑樹のモミの木が代用され、そこに“リンゴの実”を飾って『善悪を知る木』に見立てた。その舞台設定で、人類に原罪が入り込んできた『失楽園の物語』が演じられた。

 それに続く第2幕として、人類に入り込んだ原罪を取り除くためにメシヤが降臨するという『降誕物語』、俗にいう東方の三博士の劇が演じられた。その場合、リンゴの実をぶら下げたモミの木に、さらにキリストを象徴するホスティア(聖餐式のパン)をぶら下げて、それを『生命の木』として見立てた。したがって、ホスティアをぶら下げたクリスマス・ツリーとはキリストそのものであり、生命の木として解釈されてきた。現代の多くの牧師は、クリスマス・ツリーの起源は異教の慣習に由来すると考え、毛嫌いする傾向性をもっている。しかし歴史の中で、私たちの目の前に立ち続けてきたこの象徴を通して、私たちは神の言葉へと導かれねばならない」と。

 結局、私たちが今日目にするクリスマスツリーとは、歴史的に見ると「善悪を知る木」や「生命の木」に深く結びつけられ、解釈されてきたのであり、かつ第2幕で演じられたホスティアを付けたクリスマスツリーとは、まさに第2アダムであるキリスト、すなわち「統一原理」でいうところの個性完成したアダムを意味していたというのです。(ちなみに、ツリーのてっぺんに飾られた星は、東方の三博士を導いたを表しており、丸くて赤い飾り物はリンゴの実の名残であり、またパンやビスケットのような飾り物はキリストを象徴する“聖餐式のパン”の名残であると言えます)

  「統一原理」では、創世記2章のエデンの園に生えていた「生命の木」を個性完成したアダムとして、また「善悪を知る木」をエバとして解釈していますが、以上のようなクリスマスツリーの起源について考察するとき、「統一原理」の解釈は、極めて妥当性があると言えるでしょう。

アウグスティヌスはキリストを「生命の木」の実と見なす
 さらに、オスカー・クルマンの主張を裏づけるものとして、テオドール・ライク著『原罪の起源――アダムとキリスト』があります。「古代キリスト教を通じて、十字架を生命の木とする解釈は一般的である。…アウグスティヌスはキリストを生命の木の果実と見なし、オリゲネスは、生命の木=十字架=キリストという等式を提出した。…古代教会はクリスマスの前日をアダムとエバの記念のために捧げていたし、大陸の多くの地域において、クリスマスに、創世と堕落の物語をキリスト降誕と結びつけて劇にして上演するのが慣例であった。中世において13世紀以来よく知られていた楽園劇は、この儀式から起こった。

 ここで、キリストの十字架は知恵の木の切れはしから成長した木でつくられたという有名な伝説にふれておこう。この伝説はもろもろの有名な出来事を結びつけるものとして役立ち、堕落の記憶と救世主の生誕の記憶を一緒に結びつけた。楽園劇の中心的な場面は、ときには、りんごがいっぱい成り、リボンで飾られている一本の木を俳優が舞台に運び込む場面である。このようにして、りんごの成っている木がクリスマスの公認の演劇的シンボルになった。この場面は、キリストの生誕の際には全自然が花を咲かせていたという教会の初期の伝統と結びついていた」(『現代思想』197911月号、青土社)。

 しかも、一本のクリスマスツリーが、エバを堕罪させた「善悪を知る木」と、その原罪を取り除くキリストである「生命の木」を、同時に象徴するものであることを考察するとき、それは堕落したエバが、生命の木であるキリストに接ぎ木されることによって救われる、ということをも象徴していると解釈することができます。

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 次回は、「創世記第2章[3]天地創造の順序」をお届けします。