シリーズ・「宗教」を読み解く 229
キリスト教と日本⑧
『どちりいな・きりしたん』の出版

ナビゲーター:石丸 志信

 第一次巡察を終えたヴァリニャーノは、天正遣欧少年使節団と共に日本を出発した。
 この時本人はローマには行かず、マカオを経てインドで一行を見送っている。
 ヨーロッパでの任を終えて帰途に就く彼らを迎え、再び日本の地を踏んだのは15907月のことである。

 ヴァリニャーノが日本を離れていた8年間に国内の状況は大きく変化していた。
 一躍天下人となった織田信長が本能寺の変で撃たれた。

▲本能寺跡

 当時、ザビエルの悲願でもあった京の都での布教活動は活発になされており、「南蛮寺」と呼ばれた礼拝堂が建っていた。
 宣教師たちは、本能寺の近くに修道院を構えていたので、その夜の不穏な空気を感じ取っていた。

▲南蛮寺跡

 天正遣欧少年使節団を送り出した大村純忠と豊後の大友宗麟が亡くなった。
 信長の後天下を治めた豊臣秀吉は、当初はキリスト教に対して寛容に見えたが、大村純忠の死後ひと月後には伴天連(バテレン)追放令を出した。ただし、その命令は厳格に実行されなかったので、宣教師たちは依然、国内での活動を静かに続けていた。

 この状況下に、再び日本に上陸したヴァリニャーノは、1591年に聚楽第(じゅらくてい/じゅらくだい)で豊臣秀吉に謁見(えっけん)している。
 表立った布教活動が禁止されている状況下で、彼が取った方策が、出版物を通した布教方法だった。

 天正遣欧少年使節団が持ち帰った活版印刷機を用いて日本で初めて、教理書・辞書・語学書・文学書など日本語の書物が印刷された。
 これらは後に「キリシタン版」と呼ばれている。中でも、キリシタン必読の『どちりいな・きりしたん』(ひらがな・漢字)、『ドチリナ・キリシタン』(ローマ字)が出版された意義は大きい。

▲『どちりいな・きりしたん』(ウィキペディアより)

 これは、キリスト教徒として信ずべき事柄、日常唱える主要な祈り、信仰生活の実践項目が記されており、洗礼を受ける前に暗唱すべきものだった。
 後にキリシタン弾圧政策が施されキリシタン潜伏時代を迎えるが、彼らが密かに信仰を継承していく大きな助けとなったことは間違いない。


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