至誠感天 家和万事成 173
祭物とは何か

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。

(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)

第三章 信仰生活の四大指針

第三節 献金生活の生命化

(一)真のお父様の万物観②

 祭物とは何でしょうか。真なる人々の行く道を、開けてあげるためのものです。万物は、そのために犠牲になってきたというのです。このような観点から、「万物の日」を迎えた今日、万物がこの人類復帰運動に、そして再創造の歴史時代に、どれほど偉大な貢献をしたか、どれほど偉大なことを成したのかを知らなければなりません。時が来たならば、神様の代わりに愛の心をもって、万物をしっかりと握って、「お前は、どれほど苦労したか」と、泣いてあげられる心が流れてこなければなりません。

 紙切れ一枚でも、これはすべて、歴史過程に私たちの祖先たちが血と汗を流して祭物を引き継いできた、一部分なのです。ですから、それを抱いて愛してあげることができなければなりません。

 道端に落ちた紙切れも、何気なく通り過ぎることはできないという、主人の資格をもつ心情的主人の行動をするようになるとき、歴史的に犠牲になった祭物たちが皆さん一人を見て、「私たちの怨恨(えんこん)を解くことができ、神様の愛に接近できるように橋になってくれるので、ありがたい」と言うでしょう。そのような万物圏を周辺に迎えて生き得る皆さんにならなければなりません。そうなってこそ、祭物を犠牲にさせた私たちの祖先、数多くの宗教の犠牲の代価を有効に引き継ぎ得る、後代の相続者としての資格を備えられるということを、はっきりと知らなければなりません。(166721987.5.28

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 明日は、「民族を同情する心で祈祷」をお届けします。