至誠感天 家和万事成 172
犠牲の祭祀

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。

(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)

第三章 信仰生活の四大指針

第三節 献金生活の生命化

(一)真のお父様の万物観①

 今日、この地上に広がっている万物は、とてもかわいそうな立場にいることを、皆さんは知らなければなりません。神様の希望の中でつくられた万物だったのであり、神様があらゆる精誠をすべて込めてつくった万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は、人間の代わりに贖罪(しょくざい)の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなければなりませんでした。人を祭物にして祭祀(さいし)を捧げることはできないので、万物を祭物とし、犠牲の祭祀を捧げてきたというのです。(162591966.6.19

---

 明日は、「祭物とは何か」をお届けします。