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続・日本統一運動史 25
坪井利之氏の証し

 真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第四章 真の御父母様との一体化時代
三、真の御父様、65年二度目の御来日(1965. 9. 2910. 10

(10)早成寮訪問(1965. 10. 8
2. 坪井利之氏の証し

 「帰り際に先生は、テーブルに用意された立派な果物を、集まった私たち一人一人に手渡して下さり、御自分は、粗末な小さなリンゴひとつを手に取り、『先生はこれを頂いて行きますよ。本当はこれがおいしいんだよ』と言われながら帰られた時、すべての苦労と責任は御自分が負われ、すべての栄光は私たちに与えて下さり、『為に生きる』生涯を徹頭徹尾歩まれる先生の御姿を、まざまざと見せられたものでした。」(抜粋、『ファミリー』19795月号)

11)歓送和動会(1965. 10. 9
1. 御言『日本を出発するにあたって』
 「日本の教会が今後…進展するには、そこには君たちのような若者が一番必要である。勇気百倍にして、前から立ちふさいでくるあらゆる艱難(かんなん)を払いのけて、最後の勝利を完結し得る若者が必要であります。しかしながら、上下左右というように青年たちばかりの手では出来上がらないということを、横で教会を指導しながらつくづく感じました。勇気を払って闘うことは青年として、これは成さねばならぬことであるが、それを共に見守りながら、闘う青年に対して周囲と環境を守って、いろいろと補給してくれる者がなければならない。壮年には男の壮年部と婦人部があるが、特に日本はエバの国であるから、婦人は土地である。またそれ以上に善なるアダムが必要である。たっぷり食べる青年のゆえ、憂いなくやって守ってくれるのは壮年である。

 土地が肥えていても、実際実りをつけるのは稲である。婦人部より以上に壮年部を繁栄せしめて大いなる収穫を得るにはいかにすればいいか、知らなくてはならない。ただ壮年部は社会的地位、子供、年老いた親を持っているということであります。社会的な障害が幾多あり、またそれを乗り越えていかなければならない。だが自分の子供に青年があれば、それを中心に動き得るのであります。青年の言葉の代わりとして行う壮年部がいかに結合し、拡大し、青年婦人と共に伸びていくか、日本の問題なのであります。…

 日本は今若者だけだから、最後の問題を完結しなければならない段階に入ると、これは青年よりも壮年です。目的に対していく過程が必要だけれども、目的に対する最後の問題を解決するには、やっぱり壮年部です。闘うのはやさしいが、責任を全うすること、これはやさしくない。…」(抜粋)

12)帰国(1965. 10. 10
 真の御父様は1010日の早朝4時半より本部で祈祷され、続いて聖地に向かわれ祈祷されました。そして羽田空港に駆けつけて手を振る教会員たちに応えて真の御父様も手を振られ、午前11時半、ソウルに向け出発されました。

1. 条谷はるさんの証し
 「先生が10月、日本をたたれる時、飛行場で大貫のお父さん、長谷川のお父さん、そしてうちの主人の3人の手を組ませて『しっかりやっていくんだよ』と言って下さいました。それを思い出すにつけても、壮婦の使命の大きいことを痛感しています。」(抜粋、『ファミリー』19841月号)

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 次回は、「1965年10月御帰国から1967年の御来日まで」をお届けします。

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