2022.07.29 12:00
続・日本統一運動史 24
早成寮訪問
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
「日本統一運動史」はコチラから!
歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
三、真の御父様、65年二度目の御来日(1965. 9. 29〜10. 10)
(10)早成寮訪問(1965. 10. 8)
1. 御言(10. 8)
真の御父様は博物館・国際劇場の見学後、教会員の店『ルポン』に寄られ、食事をとられました。その後、中野区野方にある早大原研寮を訪れ、『早成寮』と命名されました。
「先生が日本を出発して、満20年後に日本に帰って来た。日本に満20年して帰って来た、先生の思いがあるんだね。そういうのを思えばですね、先生は生命をなげうって今までこういう道を出発してきた。何千、何万遍死ぬという覚悟したかわからない。自分はこういう使命、こういう悲惨な死にぶつかる時に動揺するか、そういう態度を決定してそれから出発した。先生は韓国においても、今までこういうことをやって来たのは、御飯がないからそうするんじゃない。名誉が欲しいからそうするんじゃない。誰かが恋しいからそうするんじゃない。これはたった神様をわかったから、そなたのその心情がわかったから。そなたの悲しみというのは我々には問題にならない。千万倍にもなる。例に例えることが出来ない。だからいくら疲れておってもね、それを思えばね、ここに、あるいはこの場所に御こころを受け継いで、親孝行になることがあるかも知れない。そういう子供があったら、それに力をぶっかけて早くあらゆる方面に忠誠を尽くして、あるいは孝行を尽くして数多くの人々に奉仕してやり、あるいは中心である、ということを認めるその立場を早くしてあげたいのが先生の心だった。そう思った。だからいざという立場に立ってね、そういうのを思うと疲れを忘れる。寝るのを忘れる。しかしそういう思いでなく自分に返ったら疲れが来るよ、疲れが。だから神はいつも保護する。神がいつも同情する。神がいつも自分が寝る時に、その寝るのを見てその手を神自身ながら…。触ってみたい、抱き合って共に寝たい。神の同情心が自分の寝る所に自分の泊まる所に、自分の働く所に神の同情心が何パーセントぐらい、強いパーセンテージの力が保っていけるかというその問題である。それがあれば絶対、死ぬ所に陥れられても絶対死なない。反対する多くのクリスチャンたちが先生を死なさんがために牢屋に入れた。しかし先生をそういう立場に追い入れた者が皆死んで、死ねと言われた者は死なずして残っている。…
だから、日本を早稲田から救おうか? ん? 日本を早稲田から救おうか?(『はい!』)日本は現在非常な困難な状態にどんどん落ち込むんですよ。共産主義の問題をいかにするか。今、政界の混乱たる、環境をいかに収拾するか。…三重大問題をいかに消化する力を持っているか。中共…ソ連は日本に対していかなる方法、手段を問わずして近寄って…来るか。それを知らなければならないよ。今日も日韓会談批准阻止とかなんとか。見たら、顔が正しい奴がいないね。…もう時期が10年以上遅くなっていますよ。…過ぎてみな。…そして、労働組合を通してストライキを段々繰り返す。頭のある人たちはね、大学生とかそういう人たちは、皆左翼の思想観念を慕うようになっている。民主主義のする世界ではもう世界は救えない。…だから我らが必要である。そういう決心を持って、日本に対して先生が思わなくても君たちは先生より以上の思い、より以上の責任を持って、日本全土を天の方に善なる国の民の世界に復帰するのを心から願う。そうやれるか?(「はい。」)……
名前なんという?(「成和寮。」)成和寮。早成寮、早稲田の早、早く成る寮として名前を作ってやろう。(「はい。」)名前いいよ。
早成寮! ああ、早く挨拶する時も、『そうせい!』。早成とすれば蘇生、長成、完成にも合うし、『そうせい!』と命令にもなる。そうせい! 今から早成寮、早成寮、名前付けてやろう。(「はい」)」
---
次回は、「坪井利之氏の証し」をお届けします。