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「性解放理論」を超えて(44)
ミシェル・フーコー⑧~マルクス主義の影響

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 『「性解放理論」を超えて』を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(二)ミシェル・フーコー

(9)マルクス主義の影響
 フーコーの思想には、マルクス主義が色濃く影響を及ぼしています。そのことを検証してみます。

 フーコーは、言説こそが私たちの知覚する現実を規定すると主張しています。そして私たちは世界を、言説とそれが私たちの思考に押しつける構造によって初めて考えることができ、経験できるのだと言います。これは言語とその構造から思考が生まれるという主張であって、脳とその構造から精神が生まれると言う唯物論と同じ発想です。

 ガリー・ガッティングは、フーコーの考えを「彼ら[科学者や哲学者たち]の思考のための文脈を形づくっている下位構造の方が重要である。……個人個人は、彼らには意識できない形で彼らのことを規定し、限定している、概念的な環境のなかで活動しているのである(※26)」と言います。これは唯物史観の下部構造と上部構造の発想と同じです。

 そして「フーコーの考古学は個人的な主体のない歴史をめざしている。……私たちが自らの歴史を演じる舞台は──ほとんどの台本がそうであるように──私たちの思想や行動とは独立に確立されているのだ、と強調する(※27)」と言います。これは唯物史観の、歴史発展は人間の意志から独立しているという主張、そして社会発展を導いているのは、人間主体でなく環境であるという主張と軌を一にしているのです。

 家族を中心とする人間関係についていえば、フーコーは権力関係として捉えています。すなわち、サラ・ミルズによれば、「親と子ども、恋人、雇用者、被雇用者のあいだのすべての関係──要するに人々のあいだのすべての関係──は権力関係である。どの相互作用のなかでも、権力は折衝の対象であり、そこにおいて階層秩序のなかでの人々の位置が定められる(※28)」のです。これも家庭を、支配、搾取の基地と見るマルクス主義と同じ発想です。

 さらにガリー・ガッティングによれば、フーコーは「そうした目標を中心に据えた大いなる目的論的物語には懐疑的であり、その代わりに、たくさんの具体的な『小』原因が、お互い独立に、全体的な成りゆきを考慮に入れないで作用し合うということに基づく説明を提案した(※29)」のです。これは、事物には目的はなく、ただ対立物、矛盾の闘争によって運動しているだけであると言う唯物弁証法と発想が同じです。

 そのように、フーコーの思想には、マルクス主義が色濃く影響を及ぼしていました。「統一思想」はマルクス主義の誤りを指摘し、それに対する代案まで提示しています。したがって変形マルクス主義とも言えるフーコーの思想の誤りは明らかです。

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※26 ガリー・ガッティング『フーコー』(48
27 同上(49
※28 サラ・ミルズ『ミシェル・フーコー』(85
※29 ガリー・ガッティング『フーコー』(66

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 次回は、「ジャック・デリダ①~エクリチュールとパルマコン」をお届けします。


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