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「性解放理論」を超えて(43)
ミシェル・フーコー⑦~同性愛の合理化

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 『「性解放理論」を超えて』を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(二)ミシェル・フーコー

(8)同性愛の合理化
 ガリー・ガッティングは、フーコーの考えを、「同性どうしの性関係は人間の歴史を通してずっと行われてきたが……それを同性愛という独特のカテゴリーに仕立て上げたのは、近代的な性科学の知/権力システムだったのである(※23)」と説明しています。フーコーは、権力が、性と生活を管理しコントロールして、社会と文化の領域に入り込んでいるとして、権力を糾弾したのです。

 フーコーは、自己の欲望に忠実でありながら、権力のあり方を変え、社会を変えていくことを主張しました。そして同性愛を通じて、他者との関係性を多様化し、他者との間で友愛に満ちた新しい関係を模索することを目指しました。中山元(なかやま・げん)によれば、それは「〈ゲイ〉であることによって、新しい他者との関係を構築しようとすること、自己との関係、他者との関係を問い直すこと、すなわち新しい〈エチカ〉を模索すること(※24)」であったと言うのです。

 フーコーは、「キリスト教は、愛については、饒舌(じょうぜつ)に語ったが、朋友(ほうゆう)愛については、まったく理解しなかった(※25)」と語っており、朋友愛こそ、ゲイの文化が、異性愛者へも広がりを持てる根拠となるものだと考えていました。

 フーコーは、同性愛を通じて、朋友愛を築くと語っています。しかしながら、同性愛を朋友愛(兄弟愛)と関係づけるのは大きな誤りです。同性愛は男女の愛の倒錯したものであって、朋友愛(兄弟愛)とは何の関係もないものです。

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※23 ガリー・ガッティング『フーコー』(129
24 中山元『フーコー入門』(201
25 桜井哲夫『フーコー:知と権力』講談社、2003282

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 次回は、「ミシェル・フーコー⑧~マルクス主義の影響」をお届けします。


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