2022.07.18 22:00
「性解放理論」を超えて(42)
ミシェル・フーコー⑥~絶対的真理の否定
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
『「性解放理論」を超えて』を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
五 ポスト構造主義を超えて
(二)ミシェル・フーコー
(7)絶対的真理の否定
人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的、絶対的なものでもないということを示すこと、それがフーコーの終生の課題でした。ガリー・ガッティング(Gary Gutting)も、次のように述べています。
フーコーは真理をテストにかけた。彼の考古学は、そのときどきの偶然的な歴史的枠組みを超越しているとされる真理が、実はしばしばその歴史的枠組みに相対的であることを示し、彼の系譜学は、私たちを権力および支配から自由にしてくれるはずの真理が、いかに権力および支配と絡(から)み合っているかを示している(※20)。
フーコーは、人間の本性というものもあり得ないと見ています。クリス・ホロックス(Chris Horrocks)によれば、
わたし[フーコー]は、普遍的な真理には懐疑的だ。人間の本性が存在するかどうかを問うのは、的はずれだ。それは、神学、生物学、歴史との関係において生産される言説なのである(※21)。
フーコーは、人々が真理だと信じているものが、絶対的に正しいものではないことを示そうとしました。そして真理とみなされるものが、いかに権力と絡み合っているかを示そうとしたのです。
しかし真理の絶対性を否定すれば、フーコー自身の思想も疑わしいものになります。ホロックスも言います。「フーコーは、進退きわまっている。もし、彼が超然とした真理の不可能性に関する真理を語っているのならば、すべての真理は疑わしいものになる。しかし、もしこれが正しければ、フーコーの真理はそれ自身の真理を保証できない(※22)」。
「統一思想」から見るとき、真理は絶対的であり、真(まこと)の愛を実現するための真理です。同性愛を合理化しようとするフーコーにとって、絶対的真理を否定するほかなかったのです。
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※20 ガリー・ガッティング『フーコー』(155)
※21 C・ホロックス、Z・ジェヴティック『フーコー』(103)
※22 同上(168)
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次回は、「ミシェル・フーコー⑦~同性愛の合理化」をお届けします。