2022.07.31 22:00
創世記第1章[12]
神様の創造目的
太田 朝久
太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。
神様は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして…すべてを支配させよう」(創世記1・26)と言われ、人間を創造されました。「統一思想」から見たとき、神様のかたちに造られたとは、心情、ロゴス、知情意という「神性」を持った存在として人間が造られたことを意味しており、また神様に似せて造られたというのは、性・形、陽・陰の二性性相(神相)に似せて造られたことを意味していると言えます。神相だけでなく、神性までも似せて造られた人間は、まさに神様と親子の関係にあります。
喜びを得るために被造世界を創造
では、どうして神様は、人間をはじめとする被造世界を創造されたのでしょうか。その創造の動機、創造された目的とはいったい何なのでしょうか?
従来のキリスト教は、神様のことを「自己充足者」として捉えました。すなわち、神様は自ら満ち足りた存在であり、足りないものは何もなく、全てを持っており、心は満足しているというのです。神を「自己充足者」として捉えてしまったため、キリスト教においては創造の動機が明確になりにくいところがあります。
なぜなら、何でも持っており、心はいつも満たされているということになってしまえば、自分の外側に絶対的に何かを必要とする必然的な理由がなくなってしまうからです。故にキリスト教では、神様はご自身の栄光のために被造世界を創造されたと説明してきました。
例えば、ヘンリー・シーセン著『組織神学』は、「神はすべてのものをご自身の栄光のために創造された」(聖書図書刊行会、282ページ)と述べていますし、ジェーコブズ著『キリスト教教義学』は、「創造の目的は、究極的には、神の完全性の明示であり…」(聖文舎、71ページ)と述べています。
それに対して「統一原理」は、神様を「心情の神」と捉えました。「統一原理」も、従来のキリスト教と同様、神様が唯一神であり、時間・空間を超越した永遠不変の絶対者であることは認めます。すなわち神様はエネルギーに満ちあふれておられ、他に依存しなくても自ら存在(自存)しておられるという意味で、存在論的には「自己充足者」であると見ます。
けれども「統一原理」では、神様は自分の外側にどうしても何かを造らざるを得ないという必然的な欲求を持っておられたと考えています。その欲求のことを「心情」といいます。「統一思想」では、心情とは「愛を通じて、喜びを得ようとする情的な衝動である」と定義しています。簡単に言い直せば、まず「愛したい」、そして「喜びたい」ということです。
人間の万物主管の姿を見て喜ばれる神様
この心情の「愛したい」という欲求をかなえるには、自分以外の「他者」を創造する以外に道はありません。なぜなら「愛を通じて」という場合の愛は、独自的には生じ得ないからです。文先生は「愛…をもつためには、相対関係において誰かと共に授受し合う必要があるのです。全能なる神であっても、お一人では愛…を体験することはできないのです。それゆえに、神は御自身の対象として人間を造られた」(『御旨と世界』251ページ)と語っておられます。
また「喜びたい」という欲求をかなえるにも、やはり単独では不可能です。『原理講論』に「喜びは独自的に生ずるものではない。…自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき…喜びが生ずる」(65ページ)とあるように、喜びを得るには、自己に似た何らかの対象が必要です。その対象が自分に似ていれば似ているほど、その喜びも大きくなるのです。
以上の理由から「統一原理」では、神様はご自身にそっくり似せて人間を造られたと見ています。万物は神様のかたちの要素である「神相」しか似ていないのに対し、人間だけは神様の性質である「神性」まで似せて造られており、そういう意味において人間は神様の実子として造られた特別な存在です。
人間は、神様と一問一答できる霊的存在として人格的交わりをすることのできる存在であり、かつ神様は実子である人間に被造世界を治めさせることによって、完全な喜びを得ることのできる理想世界を造ろうと計画されました。なぜなら神様が愛の能動的主人であるのと同じように、実子である人間も成長して、神様と同じ愛の能動的主人となり、天使をはじめ被造世界を主管する姿を見るとき、神様の中に初めて完全な喜びが生まれ得るからです。従って人間は、そのような神様の願いに対して責任を持って応答すべき立場にあったと見ることができます。
従来のキリスト教は、「統一原理」の陽・陰の二性性相の概念や、三大祝福の概念を否定する傾向性を持っています。それは子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛という四大心情圏を育むために男女が必要不可欠な要素であり、かつ神様を中心とした四位基台を造成することによってのみ、人間が「個性完成」「子女繁殖」「万物主管」を成し遂げ、神様に似た愛の能動的主人になれる、という創造原理がよく分かっていないためだと言えます。
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次回は、「創世記第2章[1]創造7日目の安息」をお届けします。