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第3部 中世期に活躍した人々
①聖フランチェスコ

(光言社『FAXニュース』通巻930号[2004828日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

清貧の修道士

 中世の暗黒時代。羊のためなら命も投げ出す(ヨハネによる福音書1015節)といった「良き羊飼い」の精神がすたれた時代、神はキリスト教信仰を覚醒させるためにアシジ(アッシジ)の聖フランチェスコ(11821226)を召命しました。

▲聖フランチェスコ(ウィキペディアより)

世の不条理感じ瞑想、祈祷の生活

 彼は中部イタリアの町アシジの裕福な布商人の息子として生まれます。彼の生きた時代は、貧富の差が激しく、聖職者も自分の地位の安泰のために世俗の権力に取り入って生活をし、霊的生命の全く失われた時代でした。

 フランチェスコも、若いころは飲めよ歌えよの放蕩な生活をしました。

 しかし、アシジの人民がイタリアの貴族を敵にまわして戦争したとき、彼は人民側について戦って敗れ、1年の捕虜生活を送ります。その後、重病を患って生死の境をさまよったのを機に、彼は世の不条理を感じ、人生に悩み、洞窟や廃墟の礼拝堂ダミアンにこもって瞑想や祈祷の生活をするようになります。たまに外出する彼の姿は、やせ衰えて見紛うほどだったといい、それほどまで深刻になって神に求道したのでした。

 彼の生涯を題材にした映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」は、彼の転機を次のように伝えています。

 彼は九死に一生を得て目覚めると、窓際に小鳥がさえずっているのを見ます。純真にさえずる小鳥を、彼は夢中で追いかけ、やっと捕まえた小鳥を大空に解き放ってあげるのです。今度は野原に行き、草花を眺めながら生活します。そのなかで、神の声を聞くのです。

 山上の垂訓(マタイによる福音書5章~7章)にあるように、「神は小鳥さえも、心を込めてつくられ、養ってくださる。野の花も、あす炉に入れて燃やされるかもしれないのに、栄華を極めたソロモンよりも美しく装ってくださる」。そう思ったとき、彼は神の声を聞きます。

 神はどんなに取るに足らないと思われるものに対しても、無限の愛情を降り注いでおられる。それなのに人間だけが神の愛を忘れ、人々を分け隔てし、心に垣根をつくって争い、不自由な生活をしている。貧しく弱い者を虐げ、平気でいられる。空飛ぶ小鳥を見なさい。何も思い煩うことなく、すべてを神の手に委ね、自由に空を羽ばたいて生きている。

 それなのに人間だけが神を思わずに自分のことだけを思い煩い、汲々(きゅうきゅう)と生活している。「何かが間違っている」と彼は感じたのです。

修道会巨大化に伴う権力欲に失望

 さて彼は、イエス様が山上の垂訓で語っておられるみ言どおりの清貧の生活をしたいと切望し、生活の糧を托鉢(たくはつ)で得、修道生活するという志を立てます。やがてその彼の生き方に共鳴した者たちが集まって、小さな修道士のグループが出来上がりました。

 そこで彼は同志のために会則を起草し、法王のもとに出向き正式な修道会の承認を得ます。この時代が、カトリック権力が最高潮に達した時であり、100年後に、法王のバビロン捕囚が起ころうなどと、誰が予想したでしょう。修道会は清貧生活を実践し、21組で宣教しました。やがて入会者が急増し数千人の修道会となります。こうして修道会は歴史に大きな影響を及ぼすのです。その背後には、神の導きがありました。

 神はこの修道会を通して悔い改めを世界に促したかったのです。しかし肝心のフランチェスコ自身は、失意の中で生涯を終えたといわれています。それは、彼が一生涯を托鉢生活で過ごしたかったのに、それができなくなったためでした。人が増えて巨大な集団となれば、必ず組織の世話をする管理職が必要となります。こうして、フランチェスコが心配した権力欲の温床となり得る管理職を立てざるを得ないことに失望するのです。

 彼は修道会が大きくなるに従って、隠遁(いんとん)の生活をするようになります。本当は、組織が大きくなれば、統一原理の核心「父母の心情、僕の体」で尽くさねばならないことを、親なる神は願っていたはずです。

 父母の心情だけが権力欲を凌駕(りょうが)し、神の愛を徹底的に実践し得る唯一の道であることを悟れなかったのです。彼は晩年、キリストの苦難に心を集中して生活するあまり、手足と脇腹に十字架から降ろされたばかりと思われる「聖痕」が生じたといわれます。

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 次回は、「聖ベルナルドゥス」をお届けします。