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第2部 カトリックの基礎を築く
⑦アタナシオス

(光言社『FAXニュース』通巻919号[2004724日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

三位一体論争を収拾

 キリスト教史において、分裂の危機が幾度かありました。代表的なものを挙げれば、1054年のカトリック教会とギリシャ正教の東西分裂であり、1517年のルターの宗教改革ですが、初代教会時代においても教会を二分する大論争があり、それが三位一体の論争(※)でした。この分裂の危機を収拾し、教会一致を図るために開催された325年のニケア会議を中心に活躍した人物がアタナシオス(296373)です。


※イエス・キリストは、神が人の姿をして現れた存在(受肉)であり、昇天後、弟子たちに降臨した聖霊も神であるとする考え方に関連して起こった論争。

▲アタナシオスのイコン(ウィキペディアより)

5度の追放刑、20年の流浪生活

 彼は霊界メッセージの中で、「統一原理という用語が気に入った。神は唯一なのに、子女である人間が各々異なった方向性で生き、教派間の葛藤(かっとう)を生じさせることが疑問だった。統一原理を学びその悩みが解決された」と喜んでいます。教会を二分する三位一体論争の解決のために尽力した人物ならではの所感です。

 アタナシオス派とアリウス派の対立、論争が終息するのは381年ですが、この論争を簡潔に言えば、キリストは神ご自身か、神に創造された被造物かというものです。

 アリウス派の人物たちは、相手への中傷と政治的手段などで強引にねじ伏せようとする傾向があったのに対し、アタナシオスは生涯5度の追放刑を受け、20年間流浪生活をしたにもかかわらず、相手のために祈るという、とりなしの姿勢をもっていました。アタナシオスは次のように述べます。

 「神から離れた人は、人々を撃ったり、傷つけたりする。聖徒は反対である。ダビデがサウル王を殺すチャンスがあっても殺さず、ヤコブが自分に殺意を抱く兄エサウを優しさで克服したように…」

 彼のこのような生き方は、怨讐をも愛し抜いていかれた真の父母様の生涯と相通じる世界があります。

 さて、アタナシオス派とアリウス派の論争がなぜ長引く結果となったのか、その要因にはいくつかあります。

 一つは、どちら側にも聖書のみ言の根拠があったことです。統一原理の場合、お父様が「真の父母は天の隠された秘密をはっきりと教えるのです。それらの教えを先生は完成しました」(1993323日)と語られたように、真理が明快であり、真の父母に直接尋ねることも可能です。

 しかしイエス様が亡くなり、「言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネによる福音書1612節)と語られ、しかもどちら側にもみ言の根拠があるとなれば、収拾は簡単ではありません。

 もう一つの要因は、論争の仲裁を教会指導者ではなく、ローマ皇帝が主導したことから分かるように、教会内部が歴史的に一体化していなかったことです。イエス様の教えに反し、誰が一番偉いかと争い合い(ルカによる福音書946節)、弱者への配慮が足らず(使徒行伝61節、コリント人への第一の手紙111830節)、教会指導者同士が暴力事件(449年、エペソ会議)を起こす風潮があるようでは、平和的解決は望めません。内部の一体化が重要なのです。

統一原理登場の土壌整う

 そういう中、怨讐をも愛したアタナシオスの勝利になることは、必然的結果であったとも言えるでしょう。

 アタナシオス派の勝利によって、父(神)・御子(キリスト)・御霊(聖霊)は同質であるという三位一体の教理が確立していきます。これによって、ユダヤ教の神観である、神に父性と母性の性質があるという思想が欠落し、聖霊をも男性格としてとらえてしまう欠点はあるにしても、四位基台を確立するには、その過程として神を中心にアダムとエバが完全一体となって三位一体をなさなければならず、三位一体を成した完成アダムは「実体の神である」という統一原理の思想が登場しやすい道筋(土壌)が準備されたと見ることができます。

 ただしこの三位一体論が確立することで、キリスト教が、唯一神教を説くほかのユダヤ教やイスラム教と完全な対立構造に陥ってしまったという事実も否めません。

 結局、アタナシオス派とアリウス派の論争の真の解決の道は、「神は天宙父母であり、真の父母は天地父母である。真の父母は『天宙天地父母』であるが、『天宙父母』ではない」と考える統一原理以外にないでしょう。

 アタナシオスはそのことに感激しながら、霊界からメッセージを送ってきたものと思われます。

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 次回は、「聖フランチェスコ」をお届けします。