2022.07.10 17:00
第2部 カトリックの基礎を築く
⑥オリゲネス
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
キリスト教思想史上の巨人
2000年のキリスト教思想史を見渡すとき、最初に現れた巨人がオリゲネス(185-254)です。「人と思想シリーズ」を出版する清水書院でも、パウロに次いで取り上げる最古のキリスト教思想家がオリゲネスです。彼は生涯で2000冊もの本を書いたといわれる多作家であり、主著『諸原理について』は史上初の神学大全とされます。
睡眠時間少なく禁欲的生活
彼はエジプトのアレキサンドリアに生まれました。父は教養の高い人で、キリスト教に改宗し、息子オリゲネスに早くから聖書を教えました。
その父は202年の迫害で殉教します。そのとき、彼も父と共に殉教しようと決意しますが、それを察した母が着物を隠して外出を妨げ、その機転によって殉教を免れました。しかし父の処刑と、財産没収のために、オリゲネス一家は教会員の家に身を寄せるなど、苦難の道を余儀なくされました。
オリゲネスは非凡の天才で、アレキサンドリア司教のデメトリオスは、彼に多大な期待を寄せ、203年、18歳の彼をカテケーシス学校の校長に任命しました。
彼は校長任命を厳粛に受けとめます。しかし聖書を教えることで報酬を得ることを好まなかった彼は、自分の蔵書を売却。その代金を報酬として受け取るなど、犠牲的な生き方に徹しました。昼間は学生を教え、夜間は自分の勉学と著作活動のために、睡眠時間は極端に少なく、寝るときも寝台を用いず、直接床に寝、さらに靴も履かないという、本当に質素な生活をしました。
情欲を極度に嫌ったのか、この禁欲的傾向が高じ、やがて彼は秘かに去勢します。晩年の著『マタイ伝注釈』で、彼は19章12節の「天国のために、みずから進んで独身者となったものもある」の注として、それは「心の欲情」を断ち切ることであって体を傷つけることではないと述べており、それは彼自身の若い時の行きすぎに対する悔いが込められているといわれています。いずれにせよ、情欲と闘った彼が、今の時代に生まれ、「祝福」に巡り合えたならばどれほど感激したことでしょうか。
だからこそ、彼は霊界メッセージの中で「多くの信仰者が情欲を抑制しながら、善の道を行こうともがいてきたのに、その努力が原罪の清算に無用だった」として激しく嘆き、衝撃を受けたのではないかと思われます。
生涯通した多くの著作を高く評価
さて、彼は著作活動だけでなく、諸教会の依頼を受けて地方を巡回。精力的に活動しました。ところが216年、彼はカイザリア教会の司教の依頼に応じて説教をします。そのことがデメトリオスの怒りを買い「長老でない者が説教するのは不当」として非難を受けます。その後、カイザリア教会はオリゲネスを長老に任命。彼は有資格者として説教しますが、そのことがデメトリオスをさらに激怒させ、遂にアレキサンドリアを追放されたのです。このような不幸は、彼の未来を暗示するものです。
彼の思想は後世において歪曲され、6世紀には、正式に教会から「異端」の宣告を受けたのでした。
彼の思想には、統一原理から見たとき高く評価できる観点が多く含まれています。例えば、キリスト教神学において、イエス様の十字架の代価は誰に対して支払われたのかという論争が、2000年を経た今でも決着していませんが、彼はイエス様のみ言「人の子がきたのも…多くの人のあがないとして、自分の命を与えるため」を根拠に、代価はサタンに対し支払われたと主張しました。人間が責任を果たさないことに対する「サタンの讒訴(ざんそ)」を清算するという意味において、的を射た主張であるにもかかわらず、彼の主張は粗野な論理として軽んじられる傾向にあります。神の摂理から見るとき、今日、オリゲネスのこの思想の復権が願われるところでしょう。
いずれにせよ、オリゲネスが生涯において数多くの著作活動をしたことは、高く評価すべきことです。
真のお父様は、一冊の本が歴史にどれほど大きな影響を及ぼすのかについて、次のように語っておられます。
「先生の中の先生が本です。本をもって革命しなさい。…本以上の先生はいません。本を無視し…宝の持ち腐れにしてはいけません。共産党が70年間に世界の半分を制覇したのも、本をもってやったのです」(1995年1月1日)
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次回は、「アタナシオス」をお届けします。