2022.07.23 17:00
霊界の実相と地上生活(46)
鉱物の世界
36家庭の李相軒(イ・サンホン)先生(1914~1997)が霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ、「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
世界平和統一家庭連合
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
三 鉱物の世界
森羅万象のすべての被造物のうちで、神様の愛の手を経なかったものは一つもありません。したがって、すべての被造世界は神様の愛そのものであり、鉱物世界も例外ではありません。鉱物が人間にどのように喜びを与えているのか調べてみましょう。
私は地上で生きている時、石が話をするのを聞いた経験があります。そしてこちらの霊界に来ても奇異な現象を少なからず経験しました。
こちらに新人としてやって来て間もない時のことでした。私はこの国に見るものがあまりにも多く、研究や分析したい資料があまりにも多くて、少しも休むことができませんでした。あちこち我を忘れて回っている最中に、見たこともない不思議なことを発見すれば、じっとそこに座り込んで深く考えにふけってみたりしました。
そんなある日、考えにふけりながら、ふとうつらうつらしていると、得体の知れない変な音がしました。私の座っている岩の下から、鐘や銅鑼(どら)をたたく音色が聞こえてくるのです。はっと驚いて目を覚ますと、何も見えませんでした。
私は辺りをもう一度見回してみましたが、やはり何も見つけることができなかったのです。その時、突然ある考えが浮かんできました。「岩石が、私がここに来たことを歓迎しているんだなあ……」。それで私は「おいおい、そんなに歓迎してくれたら、何だかこちらが申し訳ない気分になるよ。やめてくれ」と話しました。岩石は「今まで私のところに来て、一度も座ってくれた人がいませんでした。私のことを貴く思ってくれる人がいなかったのです。今初めて主人に出会えて、本当にこの上なくうれしいです」と言いながら、より一層感銘深く合奏をしました。
このような事実を地上人がどうして理解できるでしょうか。しかし、現代医学を専攻した内科医の私が確かに経験したのです。
それだけではなく、霊界の新人時代に経験したことがもう一つあります。その当時私は、山や野原、川岸や海辺をくまなく歩き回っていました。そんなある日、高い山の上の大きな岩に達しましたが、その岩は急な斜面に位置していました。私は、そちらに近寄るとけがをする危険性があるので、そこを避けて別の所に回りました。その時突然、「アーリラン、アーリラン、アーラーリーヨー、アーリラン峠を越えていく。私を捨てて行くあなたは、一歩も前に踏み出せずに帰ってくるよ、帰ってくるよ、帰ってきますよ」と、民謡のメロディーが聞こえてきました。
私は、岩の上で誰かが歌を歌っているのかと思いました。しかし、私は誰も発見できませんでした。その声をずっと聞いていると、それは人の声ではなく、浮かれて茶わんをはしでたたくようなメロディーでした。私は岩をぼんやりと見つめていました。するとその時、神様が「相軒よ!岩がお前を待ちながら、のどがかれるほどに歌を歌ってきたのだ。それなのに、お前が他の方向へ行こうとするから、岩があまりにも残念がってお前を呼んだのだ」とおっしゃいました。鉱物は外的な形も神秘的で美しく、内部からもこのような美しい歌が流れるのです。私はこのような事実を経験しながら、呆然(ぼうぜん)としてしまいました。
川辺を通ると、澄んだ水がちょろちょろ流れていました。水の中から「私の御主人様がやって来たら、髪を洗って、手も洗って、足の爪まできれいに洗ってあげるのさ」というメロディーが流れてきました。そして私が海辺を通ると、そこでは私のための舞踏会が開かれていました。小魚や大きい魚がぴょんぴょんと跳び跳ねたり、魚の群れが集まっては散らばっていきます。それはまるで、きれいなこまがぐるぐると回るような光景でした。様々な波の妖精たち、波しぶきの踊りなど、とても想像もつかない宴でした。
空からは香りあふれるメロディーが流れます。楽器も見えないのに、美しいメロディーや華々しいたそがれなど、奇想天外な現象が展開します。このような姿を見つめていると、胸がいっぱいになって気が重くなります。真の父母様に対して申し訳ないからです。地上で真の父母様があまりにも苦労なさっているのに、ここで李相軒はすてきな世界旅行を楽しみながら恍惚(こうこつ)の境地に浸って、美しい天国で無邪気な少年や青年のように過ごしています。妻もこのような美しさに陶酔しています。私は霊界の美しい姿を詳しく整理して、地上人に紹介することが真の父母様のための道であると思い直しました。
(1999年12月3日)
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次回は、「上流層の鉱物世界」をお届けします。