歴史と世界の中の日本人
第5回 吉田松陰
夢と情熱、志に生きた心の世界人

(YFWP『NEW YOUTH』157号[2013年7月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 吉田松陰(18301859)は、長州藩士で思想家、教育者、兵学者であり、一般的に明治維新の精神的指導者・理論家として知られる。享年30、満29歳で没した。

▲吉田松陰(ウィキペディアより)

 歴史的な人物の生涯が常にそうであるように、松陰の人生もまた、短くも波乱万丈であった。

 松陰がつくった松下村塾は、後の内閣総理大臣2人、国務大臣7人、大学創立者2人など、明治日本を担った多くの人材を輩出している。

 驚くことに、松陰が松下村塾で子弟の教育に当たった期間は、長く見積もっても210カ月だったという。
 30年に満たない生涯、3年に満たない教育者人生を通して、松陰は歴史的な大事業を成し遂げたと言っていい。

 「立志尚特異(志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)」
 「志を立ててもって万事の源となす」
 「己に真の志あらば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず」の格言に代表されるように、松陰の残した教えの核心は「志」にあった。

 松陰の志は、常に大きな夢と激しい情熱に支えられていた。
 ペリーが黒船で2度目の来航をした時のこと、24歳の松陰は、弟子の金子重之輔と共に小舟で米艦に近づき、自分たちをアメリカに連れていってくれと懇願したという。
 これだけ見ても、松陰は普通の人間ではない。

 松陰の動機は「黒船を造った西洋文明を見てみたい」というものであった。

 松陰の、鎖国という国禁を犯して米国への密航を企てた行動は失敗し、結果、獄中生活を強いられた。

 「今日の読書こそ、真の学問である」とは松陰の言葉。
 実際、松陰は獄中で読書に没頭し、12カ月の間に600冊を超える本を読んだ。
 周りの囚人たちも次第に松陰のもとで勉学に励むようになり、牢の外の番人や責任者まで松陰の講義に聞き入っていたという。

 松陰はどんな環境にあってもベストを尽くした。そんな彼の志は人々の心を動かし、日本を動かしていったのである。

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 次回は、「時を超えてつながる感謝の心」をお届けします。