歴史と世界の中の日本人
第4回 植村直己
世界を愛し、世界に愛された冒険家

(YFWP『NEW YOUTH』156号[2013年6月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 523日(2013年)、また一つ、日本人による偉業達成の知らせが世界を駆け巡った。

 冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト(標高8848メートル)に、史上最高齢の80歳で登頂に成功したのである。

 冒険家の価値は、その偉業もさることながら、その偉業を通して人々に夢と希望を与えるところにある。

 日本人冒険家で忘れてならないのは、植村直己(19411984年)である。

 植村は世界で初めて五大陸最高峰の登頂に成功しただけでなく、北極圏12000キロの探検旅行を実行、人類史上初の北極点単独行に成功し、日本人として初めてナショナル・ジオグラフィック誌の表紙を飾った冒険家である。

▲2011年にグリーンランドで発行された、植村直己による1978年グリーンランド縦断記念切手(ウィキペディアより/©2012 Gnvcva

 グリーンランド内陸3000キロ縦断の旅も単独で成功させ、これらの業績から1979年、英国王室から優れた冒険家に贈られる「バラー・イン・スポーツ賞」を受賞するなど世界的な名声と評価を獲得している。

 植村の冒険と挑戦に貫かれたものは何であったのだろうか。

 エベレスト国際隊では、誰もが嫌がるサポート要員を自らに課し、上部にいる英国人隊員の登頂を成功させるために、酸素ボンベなしで、8000メートルの高所での荷揚げ作業に力を尽くした。
 その忍耐と努力はサンデー・タイムズによって「植村の自己犠牲とスポーツマンシップは、国際隊の最大の収穫だった」とたたえられた。

 また、植村はエスキモーの生活様式と狩猟技術を学び、犬ぞりを操る訓練を行うためにグリーンランドの最北端の村で一年にわたって生活している。北極圏の長い旅を成功させるためであった。

 植村は忍耐の人であり、努力の人であり、学ぶ人であった。
 植村は世界のどんな環境であれ、異文化の壁を超えて人を愛した。そして、人に愛された。人に好かれ、人が助けたいと思う人物であった。

 植村の言葉。
 「諦めないこと、どんな事態に直面しても諦めないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない」

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 次回は、「夢と情熱、志に生きた心の世界人」をお届けします。