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誰でも分かる例え話

(光言社『FAX-NEWS』通巻820号[2003年7月15日号]「四大聖人物語」より)

 『FAX-NEWS』で連載した「四大聖人物語」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

▲山上の垂訓(ウィキペディアより)

 イエスは人々に話をするとき、誰にでも分かるように例え話を多く用いています――。

 「ある人に息子が二人いた。弟は父に言って自分の相続分を早く分けてもらい、故郷を出ていった。放蕩ざんまいの末、全財産を失ってしまい、食べることにも事欠くようになった。他家へ下男奉公して、そこで初めて自分を悔い、父のもとに帰ってきて許しを請うた。

 父は大喜びして、最上の着物を着せ、太った子牛をつぶして祝った。兄が畑から帰ってきて、『私にこんなことをしてくれたことがありますか。遊女と一緒になって財産を食いつぶした弟だ』と反発した。

 父は『おまえの弟は死んだものと思っていたのに、生きて帰ってきた。祝ってやろうではないか』と言った。

 神様の心はこれと同じである」

 イエスはいろいろな所で教えを説いています。山上で、ガリラヤ湖のほとりで、あるいは異教徒の里で。そのとき男も女も老人も若者もいました。表情はさまざまです。

 「『姦淫するな』と聞いているだろう。誰でも情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫したのである」

 「兄弟に腹を立てている者は、誰でも裁きを受けねばならない。供え物をしているとき兄弟に恨まれていることを思い出したら、供え物を置いたままにしてでもまず仲直りしなさい」

 「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。天の父は悪人の上にも、善人の上にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる。自分を愛してくれる人のために祈って何になるのか」

 「何を食べようか、何を着ようかと心配することはない。空の鳥は種まきも刈り入れもしない。けれども、天の父が養ってくださる」

 はっとして下を向く若者、思わず腕を組んで天を仰ぐ老人、目頭を押さえうずくまっている女。皆、貧しい身なりで、それぞれの過去を持っています。多くは真剣な眼差しです。

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 次回は、「エルサレムへ死の道行く」をお届けします。