至誠感天 家和万事成 145
離れていっても祈り続ける

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。

(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)

第三章 信仰生活の四大指針

第一節 祈祷生活の呼吸化

(五)食口のための牧会者の祈祷①

 牧会者は、3日に一度ずつでも、食口(シック)たちのために祈祷してあげなければなりません。先生は、興南(フンナム)の監獄で3年近くの歳月を過ごしましたが、その中でも、何人かの食口たちのための祈祷は、御飯を食べる時から寝る時まで、毎回やらなかったことがありませんでした。たとえ離れていった人だとしても、彼のために続けて祈祷してあげました。そうすると、霊的に先生を訪ねてきて、離れていったことを涙を流して報告するのです。肉身が弱くて仕方なく先生から離れていかなければならないと、あいさつをして離れていく、その悲惨な情景は、同情はしないと思っても同情せざるを得ないのです。そのように、離れていったとしても、その人のために続けて祈祷してあげなければなりません。

 それはなぜでしょうか。その人が責任を果たせずに行ってしまったので、その継承者が出てくるときまで祈祷してあげなければならないからです。そのような精誠の土台さえ残っていれば、いくら食口が離れていったとしても、神様が必ず志のある人を送ってくださるというのです。ですから、食口が離れていったからといって、絶対に落胆してはいけません。(421621971.3.4

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 明日は、「天を通じた因縁を忘れない」をお届けします。