コラム・週刊Blessed Life 223
民主主義の擁護と人間の安全保障

新海 一朗

 1998年、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏(1933~)は、インドのベンガルで生まれた学者です。彼は、経済学部門においてはアジア出身の初めてのノーベル賞受賞者となりました。

 彼の経済学は、「人はいかに生きるべきか」「人間にとっての善」に由来しているという点で、非常にユニークであり、そのことがノーベル賞受賞につながったと思われます。

▲アマルティア・セン氏(ウィキペディアより)

 アマルティア・セン氏は、「人はいかに生きるべきか」をモチベーションの倫理的な考え方と捉え、「人間にとっての善」はそれを達成するための手段であると理解しています。

 このことは、これまでの経済学と異なり、セン氏によって色合いの違うアプローチが経済学の中に持ち込まれたという印象を与えます。
 セン氏は経済学と倫理学を抱き合わせたような内容を探究していると言ってもよいでしょう。

 わずか10歳の時、300万人もの人々が死んだ「ベンガル飢饉(ききん)」(1943年)を経験したことにより、アマルティア・セン氏は貧困、福祉といった問題を扱う経済学を学ぶようになりました。
 それが「福祉の経済学」です。

 「福祉の経済学」は厚生経済学というジャンルに分類されます。
 厚生経済学は、「貧困」「健康」「豊かさ」といった分野を経済学的な視点から分析しています。その意味で、セン氏は経済性と倫理性を統合する視点で発言し行動します。

 セン氏は、「所得と富は、人の優位性を判断するには不適切な指標であるということは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』でもはっきりと論じられている」と指摘した上で、富が暮らしの達成感を示す良い指標ではなく、人々が享受することのできる「Capability(潜在能力)全体を見る必要がある」と言っています。
 このセン氏の潜在能力概念は、国連開発計画(UNDP)による人間開発の概念をはじめ、貧困の概念全般に大きな影響を与えました。

 1990年から毎年出版している人間開発報告において、さまざまな指標をもとに算出した人間開発指数(HDI)を公表していますが、1997年には、新たに人間貧困指数(HPI)を導入します。

 セン氏の「潜在能力アプローチ」をもとに、経済協力開発機構(OECD)/開発援助委員会(DAC)が2001年に発表したガイドラインでは、貧困を「人間の基礎的生活のために必要な能力の奪取」としています。

 DACでは、経済的能力(収入、資産) 人間的能力(教育、栄養) 政治的能力(権利、影響力、自由) 社会文化的能力(地位、尊厳) 保護的能力(安全保障、脆弱〈ぜいじゃく〉性)の獲得を目標にします。
 まさに、セン氏の大きな影響を受けています。

 セン氏は、1985年から国連の世界開発研究所の創設に参画し、1990年からUNDPの「国連人間開発報告書」の策定に関わってきました。
 さらに1994年の同報告書はポスト冷戦期の新たな安全保障概念として「人間の安全保障」という概念を打ち出しています。
 生存のための安全保障の柱として、健康、平和、そして人間の尊厳を挙げ、これらの問題に取り組む人々の必要性が大きく開かれました。

 民主主義の擁護の下に、人間の安全保障が成立し、経済の発展も基本的人権の擁護も可能になると見ることができます。

 民主主義の破壊は、同時に人間の安全保障を破壊することにつながるという事実を理解しなければなりません。
 いかなる戦争も真の民主主義を育むことにはなりません。
 セン氏が見たベンガル飢饉の悲劇も戦争(第2次大戦)が背景にありました。