https://www.kogensha.jp

心情開拓
心霊を育てる生活原則(57)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【ノアの家庭】
蕩減条件の立て方

 結局、サタンとの関係で、蕩減の仕方がそうなるのです。信じられるものを信じても、蕩減できないのです。信じられないものをどうすればいいか神に聞いて、神と共に信じられない道を歩けば、サタンと関係ない実績になるのです。

 こういう時に、うっかりしてしまうのです。ハムも、うっかりしてしまったのです。発見した時に、自分のお父さんの様子を見て、「神は、どんな立場だろう」、こういう一点を考えてみるべきだったのです。神の立場においては、今まで自分がお父さんを尊敬するより、神がもっと自分のお父さんを愛していたということを知っていたのです。自分よりも神がもっと愛するノアだということを知っていたのです。知っているなら、「神はこういう立場をどう思うか」と考えるべきだったのです。

 ハムは、ノアが今まで絶対神様に主管されていた人だということを、120年間を通して知っていたのです。何もかも神に相談して、箱舟を造る時も、創造主が啓示を与え、何尺何寸、幅はいくら、ドアはいくつ、一切を神から啓示を受けてやっていたのを知っているのです。結局、絶対主管されているノアの立場を知っていたのです。そういうノアが裸体になった時、これは主管者なる神の立場を考えそうな立場、それを分かりそうなハムなのに、全然考えなかったのです。

 それと同様に、エバの立場を考えたとき、エバも取って食べるなという命令を受けているのです。取って食べるなという命令を受けたなら、自分は神に主管される立場にあると知っているのです。自分の一切は神のもとで、神に聞かなくてはならないという関係を知っているのです。

 そうであるのに、自分勝手に食べたということを見ると、エバはどうだったのでしょうか。あとのハムは血統的に堕落性の血をもってうっかりしたのですが、エバの立場では神に聞きそうなものではないかというのです。これがいつも私たちの情、愛によって堕落した、その愛をもって何を愛するかによって、どういう立場で情が発露するか、それがいつも蕩減路程で試されているのです。

---

 次回は、「サタンの讒訴(ざんそ)とは」をお届けします。


◆『心情開拓』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ