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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(58)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
四、興南解放と釜山伝道

▲金元弼先生

巖徳紋先生の入教

 2カ月ほど過ぎたころ、朴さんの足がほとんど治ってきたので、別れて、先生と私だけが釜山に向かうことになりました。途中、蔚山(ウㇽサン)で初めて汽車に乗ることができました。

 釜山に着いた最初の夜、先生は、昔ソウルで日曜学校の先生をしていらっしゃった時の弟子の、その家で休まれました。私は他人の家なので、世話になることができず、ある食堂に就職して、そこに寝泊まりするようになりました。

 ある時、先生は日本で一緒に勉強していた巖徳紋(オㇺトㇰムン)さん(36家庭)に会われました。そして、巖さんの家に落ち着かれることになりました。巖さんは、先生と学校時代(早稲田大学附属早稲田高等工学校)の同窓生であり、互いに友達のような間柄で、先生は巖さんに、これからの理想世界に対するいろいろな話をされました。

 すると彼の夢にイエス様の妹という人が現れ、「私はイエス様のことで、私の母に恨みがあります。その恨みを解くには、大きな門があって、その中に小さな門があり、またその中にさらに小さな門がありますが、それを開けなければなりません。その鍵を持っている人は文先生だけです」と言うのです。巖さんは仏教の人ですから、キリスト教のことも聖書の内容も、全然知らないのです。

 それで朝になって目を覚まして、先生にお話ししたのですが、その時はひざまずいて話しました。

 きのうの夕までは、「君」「お前」と言っていたのが、その朝はひざまずいて、「先生」と言うのです。そして先生に鍵のことを、「それは何のことですか」と聞くのです。そこで先生は、ずっと歴史をお話ししてくださったというのです。そして巖さんは、それからずっと熱心に先生と共に歩んでいらっしゃいます。

 また、先生は、金さんという弟子の家に二週間くらいとどまられたこともありました。金さんは、北韓の興南の獄中での、最初の弟子でしたが、その後、結婚して小さな家に住んでいました。先生が巖さんと働いていらっしゃった時、部屋がありませんでした。それで結婚して何日もたたない金さんの、四畳の小さな部屋に行って一緒に暮らしたのです。そこで先生は、「原理」を書かれました。『原理原本』です。先生は、巖さんと一緒に本の表紙を作る仕事をしながら、原理を書き始められたのです。

 ある時、先生は、「ここではどうしても原理を書くことができないから、お前が下宿している所に私は行かなければならない」とおっしゃいました。それで先生は、私が下宿していた所に一緒に住まわれるようになりました。その下宿というのは、三畳の部屋なのです。ですからもう、先生の頭と足が壁にぶつかるのです。そういう狭い所にいらっしゃりながら、先生は「原理」を書かれ、また開拓伝道をされたのです。

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 次回は、「釜山での開拓伝道」をお届けします。


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