2022.05.30 12:00
瞑想深め「我」への執着断つ
『FAX-NEWS』で連載した「四大聖人物語」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
生老病死の苦悩から解放される道を求めるため、釈迦は出家を決意します。その夜、愛児ラーフラと妻に最後の別れを告げようと、眠っている妻の寝室に入り、眠りに陥っている母子を見つめました。召使いがくつわをとる馬に乗って城門を出、町を過ぎ、森のはずれで、髪とひげを剃り落とし、身に着けている王家の嫡子であることを示す物をはずしました。そして、粗末な衣をまとい、所持品は父親に返すよう召使いに言いつけました。
真理体得のため激しい断食行
釈迦は独り古代インドの瞑想(めいそう)法を教えてくれる聖者を求めて、インドの北東部を遍歴します。どうして人々は苦悩するのか、また、どうすればこの苦悩がやむのかを知りたかったのです。有名な仙人や学者を次々と訪ね回っても、期待に反して、誰も満足な答えを与えてはくれません。
彼は古代インドの宗教であるヒンドゥー教の教えを学び、サンサーラ(輪廻=りんね)の思想にも影響を受けていました。輪廻とは、人は死後も、その深奥部の本質である霊魂が新たな身体の中へと入り込んで再生するという信仰です(この過程は、転生ともいわれる)。霊魂の新しい状態を決定する要素は個々の霊魂が前世において営んだ結果によるもので、これは「カルマ(業)の法則」と呼ばれます。
釈迦の時代にはウパニシャッドと呼ばれる新たな教えが広まりつつあり、これは高度に精神的な生活を営めば、輪廻の循環から解き放たれるというものでした。釈迦は、この思想に引かれて極端な苦行生活に入り、休むことなく瞑想にふけりました。何としても解脱(げだつ)に至る精神状態に達しようと、ネーランジャラー川の岸辺に居を定め、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日もそこにとどまり、食物は辛うじて命をつなぐことができる程度のものしか口にしませんでした。身に着ける物といえば布きれだけ。決意は固く、命懸けの修行が続きます。
1粒の米、1粒のゴマしかとらない徹底した断食行。それは、当時のインドでは真理体得のための最上の方法とされていたものです。厳しい断食を続けることによって、精神を研ぎ澄まし、いっさいの雑念を打ち払って、人間世界の不幸を根本的に解消する原理を見いだそうとしました。
肉体はやせ細って、かつての体力は消えうせましたが、その姿は清浄で神々しく、彼を手本にほかの行者も5人加わりました。
解脱求める釈迦
悪魔が迷い誘う
釈迦は、ある日、ふと考えました。単に苦行を重ねて体を打っても、問題の解決にはならないのではないか。現実生活のなかに身を置いてもそれを超越する努力が必要であることを体得したのです。
釈迦はふらふらと立ち上がり、沐浴のために川に入りました。久しぶりにすがすがしい気持ちで川から上がろうとしましたが、すでに肉体の力は尽き果て大地に倒れ込んでしまいました。
そのとき、通りかかった村の乳搾りの娘、スジャーターが一杯の乳粥(ちちがゆ)をささげると、彼はありがたくそれを受けました。弟子であった5人の行者は釈迦が食するのを見て、彼が真の聖者となること、すなわち解脱の達成をあきらめたと思い、彼の元を立ち去りました。
食事をとって体力を回復した釈迦は、ブッダガヤーと呼ばれる場所の大きなピッバラ(菩提樹)の下に座り、長年求めてきた答えを見いだすまでは立ち上がるまいと心に決めました。仏典によれば、人を惑わす悪魔があの手この手で釈迦に近づき、釈迦の目標達成を妨害しました。快楽や欲望などのさまざまな誘惑で誘ったり、問答において知を混乱させようとしてきましたが、釈迦は悪魔の思いどおりにはなりませんでした。
彼は深い瞑想状態の中で、自らの前世のすべてを思い起こしていました。そして、生と死の循環についての知恵を得、自らをその世界に縛りつける、“我”に対する無知と執着とを捨て去り、ついに悟りを開いたのです。
---
次回は、「教えは平易、実践を重視」をお届けします。