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第1部 宗教改革者
⑥ジロラモ・サヴォナローラ

(光言社『FAXニュース』通巻823号[2003725日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

陰謀渦巻く法王庁刷新に立ち上がる

 宗教改革の先駆者として活躍した代表的人物が、イギリスのウィクリフ、ボヘミヤのフス、イタリアのサヴォナローラの3人です。ジロラモ・サヴォナローラ(145298)は、北イタリアのフィレンツェの宗教指導者として、その当時のローマ法王庁の腐敗ぶりを糾弾し、そのことの故に絞首刑に処されました。

▲民衆に説教するサヴォナローラ

信仰の刷新担う預言者の一人

 サヴォナローラは若き日、医者を志して勉学に勤しみますが、22歳で方向転換。結婚を拒否して修道士になることを決意し、1474年、ボローニャのドミニコ修道会士となりました。8年後フィレンツェの聖マルコ修道院に移り、幾つかの修道院で奉仕生活をした後、91年に聖マルコ修道院の院長に就任。彼はフィレンツェで民衆に支持される有能な説教者として名をなし、宗教改革者としての頭角を現すようになりました。

 さて、15世紀のイタリアは貴族間の対立抗争によって次第にヴェネチア、ミラノ、フィレンツェ、ナポリ、シチリアなどに分裂し、それぞれがより大きな権力を得ようと凌(しの)ぎを削った時代でした。その権力争いに法王庁も加わり、野心を燃やすようになっていきます。

 やがて法王庁は、ポルノクラシー(娼婦政治)と呼ばれた10世紀の腐敗の時代を除いて、歴史的に他に例がないほどに世俗化された時代を迎えたのです。

 例えば法王シクストゥス4世(在位147184)は、自分の親族を裕福にするために腐心し、次の法王インノケンティウス8世(在位148492)も自分の子供に財を得させようと膨大な支出をし、あろうことか法王職まで売買しようと画策しました。

 そして、サヴォナローラを絞首刑に処したアレクサンデル6世(在位14921503)は賄賂(わいろ)によって法王の座に就いた人物であり、縁故関係によって教会政治を動かそうとしました。彼は4人の私生児をもうけ、その子らを優遇しました。特に残忍な息子チュザーレ・ボルジアに対しては、法王領の中に公国を設けてそれを与えようとまで画策したのです。

 こうして、法王庁は完全に世俗化し、私利私欲と陰謀が渦巻く世界となってしまったのです。

 『原理講論』に「イスラエル民族が、神殿理想に相反する立場に立つたびに、神は…預言者を遣わされ…内的な刷新運動を起こされたのである。…(それと)同じく、法王庁が腐敗して、トマス・アクィナス、聖フランシスなど、修道院の人物たちが彼らに勧告して、内的な刷新運動を起こした」とあるように、世俗化し、信仰の衰退していく法王庁を刷新するために立ち上がったサヴォナローラは、まさしく神様が遣わしてくださった預言者の一人であったといえるでしょう。

殉教は宗教改革のための条件に

 事実、サヴォナローラ自身も民衆も、彼が神の霊感を受けて立てられた預言者であると確信していたのです。彼は世俗化する町フィレンツェに対し「大いなる裁きが下される」と警告します。1494年、フランス王シャルル8世がイタリアに進攻し、フィレンツェの世俗的な支配者が逃亡したとき、民衆はサヴォナローラの預言が成就したと確信します。これによってサヴォナローラは事実上フィレンツェの支配者となりました。

 彼はさっそくフィレンツェを聖なる町にしようと、民衆に修道的生活を勧めます。そして1496年と97年の謝肉祭には、仮面や下品な絵画が焼き捨てられ、低俗な風習が廃止されたのです。こうして彼はフィレンツェの町そのものを修道院へと変貌させたのです。

 フィレンツェの改革に成功した彼は、その矛先をアレクサンデル6世に向け、その腐敗ぶりを批判するようになります。そのことでアレクサンデル6世は、サヴォナローラを憎むようになります。法王は彼を破門し、フィレンツェの町に対してはミサを停止するなど政治的制裁を加えるようになりました。

 当初、民衆はサヴォナローラを支援しますが、しかしやがて反旗をひるがえす者が現れはじめ、徐々に孤立していきます。ついに14984月、彼は逮捕され、拷問を受け、523日、絞首刑に処されました。

 しかし、サヴォナローラの殉教は、やがて来るべき宗教改革のための大きな条件となったのです。宗教改革によって信仰刷新が成され、メシア再降臨準備時代の幕開けとなっていくのです。

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 次回は、「ジョン・ノックス」をお届けします。