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創世記第1章[2]
創造主は心情の神

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 天地創造の6日間とは、6段階にわたってなされた創造の秩序を表しています。神様は瞬時にして被造世界を造られたのではなく、それ相当の長い時間をかけながら、徐々に被造世界を創造していかれたのだと「統一原理」は見ています。しかしそのことは、決して神の無能さを示唆しようとしているのではありません。

 心情に満ちあふれておられる神様は、やがて誕生してくる実子(人間)のために、長い時間をかけて準備をされるという、それほどまでに真心を込めて創造の業をなしていかれた、ということを意味しているのです。

聖書の年数は代数による表示
 大事業であればあるほど、また心情を込めた素晴らしい芸術品を作ろうとするときには、必ずそれなりの歳月というものを、そこに要するものです。それと同様に、心情に満ちあふれた神は、最高の愛と喜びを、わが子と共に満喫できる世界を準備するために、手間暇をかけて、コツコツと休まずに、あらん限りの精誠を尽くされながら創造していかれたというのです。

 ですから、それ相当の時間をかけて創造されたという場合のその長さは、どれほど神がわが子(人間)のために心情の全てを傾けておられたのかを物語っている、一つの表現であると解釈することができます。

 一方、福音派(特に根本主義者)の人たちは、神の全知全能性をやたらと強調しながら、創造の6日間を地球が6回自転する間、すなわち144時間として解釈しようとします。そのような人たちは、よく出エジプト記311517節を引き合いに出し、「モーセは『神はかつて6日間の創造の業をなさって第7日目を休まれたので、あなたがたも7日目(土曜日)を安息の日としなければならない』と命じている。もしこの1日が地質年代学的な長時間であるとするならば、われわれは安息日を迎える前に、何億年もの期間を働き続けなければならないことになってしまうではないか」と反論してきます。

 しかし、私たちが知らなければならない点は、神が聖書の年数について語るとき、しばしばそれを代数によって語っておられるということです。

 『原理講論』に、「摂理的同時性の時代は、ある年数とかあるいは代数の反復というかたちで、同じ型が重ねて形成されてきた」(438ページ)とあるように、例えば、6日目に創造された人間に対し、神が「生めよ、ふえよ、地を治めよ」「取って食べてはならない」というみ言を与えられたように、復帰摂理(再創造)において、神が再び人間に律法(十戒)のみ言を与える前に、6日間、主の栄光の雲をもってシナイ山をおおって聖別された(出エジプト記2416節)その期間とは、サタンの侵入を受けた創造期間の6数を表しているのであり(『原理講論』377ページ)、またヨシュアを中心としたイスラエルが神の約束の地カナンへ入るとき、1日に一度ずつ6日間にわたってエリコ城を回ったのも、同様に、創造期間の6数を聖別するための期間であった(『原理講論』397ページ)というのです。

復帰摂理歴史6000年は創造の6日間に当たる
 『統一思想要綱(頭翼思想)』にも“六数期間の法則”と題し、「アダムの創造は六数期間を前に立てて行われたのである。この期間はアダムをつくるための期間であった。同じく、再創造歴史においても、第二アダムであるメシヤ(イエス)の降臨の六数期間前、すなわち前六世紀から、神はメシヤを迎えるための準備を始められた」(302ページ)とあるように、ヤスパースの指摘した枢軸時代に、釈尊・孔子・ソクラテスなどの数多くの聖賢が現れたのは、実に創造期間の6数を再び立てるためであったというのです。

 さらには、アダムから再臨主(第三アダム)を迎えるまでの、聖書でいう復帰摂理歴史の全期間が約6000年であるのも、結局のところ、創造の6日間に匹敵する数理性として現れてきている年数表示(代数)であるということを知らなければなりません。

(注)実は、イエス様当時に広く使用されていたギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)初代教会の信徒たちはこの旧約聖書を用いていましたにおける年数記述を調べると、アダムからイエス様までの時代で、すでに人類歴史が約6000年となっていました。この問題については、創世記5章のところで扱うことにします。

 天地創造の6日間は、文字通りの6日間ではなく、あくまでも代数を中心とした創造の6段階を表す数字なので、それはモーセやヨシュアの場合のように「6日間」にもなり得るし、またメシヤを迎える準備期間の「600年」にもなり得るし、かつ聖書でいう復帰摂理歴史の「6000年」にもなり得る事実を知らなければならないでしょう。ちなみに摂理的同時性の時代は、代数を中心として形成される側面もあるので、ヤコブ路程における40年や21年は、形象的同時性や実体的同時性の時代区分の400年や210年と同じ意味を持つ期間となっているのです。

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 次回は、「創世記第1章[3]『汎神論』か『超越神』か」をお届けします。