2022.05.20 12:00
続・日本統一運動史 14
北海道/仙台
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
一、真の御父様、21年ぶりの御来日(1965. 1. 28〜2. 12)
(15)北海道(1965. 2. 8〜9)
1965年2月8日午後1時、真の御父様御一行(真の御父様、崔元福先生、崔奉春先生、申美植先生、久保木修己会長、小宮山嘉一氏、小河原節子さん)が、羽田を出発しました。
「大先生御一行は2月8日午後2時10分、北海道千歳空港にお着きになった。札幌教会では、釧路、帯広の兄姉と共に15名が集まり、喜びと緊張のうちに大先生をお迎えした。夕方4時頃、北海道神宮に行き大先生が腰までもある雪の中を先頭に立ってラッセル(※)され、純白の雪の中で聖地を決定された。夕食後、お待ちしていた御言(みことば)を賜わった。
『私たちは日本に立つ使命感を強くしなければならず、天を代表して立つ者には自己的な平安は決して許されない。神の願いは体験しなければわからない。自分が死ななければ心情はわからず、苦労して初めてわかる。神の心情の中に生きる者となれ! 大先生は全世界が反対しても我行かん。一人でも戦う決心である』と力強く語られ、ますます聞く者の心を強く励まされた。2時過ぎまで、質問会と冗談の混じった親しみ深い雰囲気の中で、西川先生、久保木先生の挨拶があり、続いて兄姉の紹介を行って一人一人大先生と握手をし、一日を終了した。9日は早朝6時半、教会を出発され、7時15分の汽車で仙台に向かわれた。」(『成約新聞』特集号、1965. 3. 15付より)
1. 札幌の聖地決定(1965.2.8、北海道神宮内)
2. 御言
3. 揮毫
「福地建設 萬民義務」
「宇宙主管願ふ前に我を主管せよ」
(16)仙台(1965. 2. 10)
「2月10日真夜中の午前零時56分、仙台の地に歴史的な1ページが記されることとなった。大先生御一行7名の姿に歓声を上げて走り寄る。来たるべき方の前に立った時、聖歌も途切れ、落ち着かない兄姉の心情であった。1時40分より大先生から『神と逢う所』と題して御言を賜わる。一瞬に2時間は過ぎる。午前4時、大先生御就寝。居間においては西川先生を中心に久保木会長、小宮山兄、小笠原姉を交え、交流の場が持たれる。…気がついた時は朝日が部屋を照らしていた。午前10時45分、マイクロバスとハイヤーに分乗し、青葉山に向かう。大先生より東北の聖地を定めていただき、新たな感激を覚え、再出発の決意をする。」(『成約新聞』特集号、1965. 3. 15付より)
1. 御言『神と逢う所』(1965. 2. 10)
2. 仙台の聖地決定(1965. 2. 10、青葉城内)
3. 揮毫
「天國花仙台」
他、2題
午後1時仙台発の飛行機で羽田に向かわれました。
※「ラッセル」とは、雪の中をかき分け、踏み固めて道をつくりながら進むこと(編集部)
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「天國花仙台」
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次回は、「三笠宮殿下、笹川良一氏との会見/歓送会」をお届けします。