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「性解放理論」を超えて(33)
フランクフルト学派の群像~フロム

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

四 フランクフルト学派を超えて
(二)フランクフルト学派の群像

2)フロム
 フランクフルト学派にフロイトの思想を持ち込んだのはエーリッヒ・フロムです。後にフランクフルト学派から離脱したフロムですが、マルクスとフロイトの思想統合を成し遂げてゆくうえで、重要な役割を果たしたのです。

 マルクスによれば、資本家をなくして、疎外された労働を労働者の手に取り戻すことによって、労働者を解放すれば、理想社会すなわち共産主義社会になると言うのですが、それだけではナチズムのような野蛮な文明の到来は説明できませんでした。

 マルクス主義だけでは説明のできない状況の解決のためには、伝統、家族関係、性などの無意識的深層心理が介入して人間の性格なり行動様式が決定されてくるという点に、注目せざるを得なくなりました。そこでファシズムを支える人間の権威主義的性格の解明が大きなテーマとなりました。

 ここにフランクフルト学派は、“内なる自然”である人間の内的な衝動に目を向けなくてはならなくなりました。つまりフロイトの言うリビドー的衝動です。道具化した理性による“内なる自然”への圧政的暴力が行われることにより、それに対する“内なる自然”の反逆がなされるようになります。この爆発した“内なる自然”の力を利用し、“内なる自然”への抑圧から民衆を解放するかのように装ったナチズムによって、民衆は操られ、隷従させられていったと言うのです(※2)。

 ホルクハイマーとアドルノは、“内なる自然”を抑圧する理性を批判したのですが、フロムは、“内なる自然”である性の快楽を禁止する家父長制社会を批判し、性の快楽を禁止するところから来る罪意識や、キリスト教封建道徳に由来する超自我などの作用の少ない母権性社会を目指し、それが来たるべき社会主義社会であると考えました。フロムが理想としたのは、パリ時代のマルクスの疎外論に示された人間主義的な社会主義思想でした。

 マルクス主義によれば、経済的下部構造が上部構造のイデオロギーを決定しますが、フロムは経済構造がリビドー構造に影響を与え、さらにそれがイデオロギーに影響を与えるというように捉えてマルクス主義とフロイト主義を結びつけたのです(※3)。

 フロイトにおいて、愛は性に付随した感情であり、愛は性から生まれるものですが、フロムにおいては、愛は人間の中にある活動的な力、人と人を結びつける力であり、性的満足は愛の結果であると主張しました。

 フロムは、宗教は幻想であると言うフロイトの宗教観を受け入れながらも、宗教を権威主義的宗教と人道主義的宗教の二つに分けて、人道主義的宗教を受け入れています。フロムは人間愛に基づいたマルクス主義者であり、精神分析者でした。フロムは愛について深い洞察を行い、愛の理論を展開しましたが、人間の堕落による、偽りの愛を追及することができず、精神分析による人間の性格分析にとどまりました。また絶対者である神を見いだすことができなかったため、フロムの愛はヒューマニズムの愛にとどまらざるを得ませんでした。

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小牧治(おさむ)『ホルクハイマー』清水書院、1992176-78
3 安田一郎『フロム』清水書院、198462-63

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 次回は、「フランクフルト学派の群像~マルクーゼ」をお届けします。


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