https://www.kogensha.jp

「性解放理論」を超えて(32)
フランクフルト学派の群像~ホルクハイマーとアドルノ

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

---
大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

四 フランクフルト学派を超えて
(二)フランクフルト学派の群像

 マックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)、テオドール・W・アドルノ(Theodor W. Adorno)、ハーバート・マルクーゼ(Herbert Marcuse)、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)、エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)等が主なフランクフルト学派の思想家です。彼らはルカーチ、グラムシの思想の伝統に従って、文化活動によって共産主義を目指す運動を推進したのです。彼らは一様に、神の言、絶対的真理に反旗を翻しています。

1)ホルクハイマーとアドルノ
 ナチスを逃れてアメリカに亡命していたホルクハイマーとアドルノは1941年から共同で作業を始めて、1947年に『啓蒙(けいもう)の弁証法』を刊行しました。その中でフランクフルト学派の基本的立場を明らかにしています。

 20世紀にナチスによる悲惨なユダヤ人大量殺りくが起きましたが、「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでゆくのか」、「何が独裁的、権威主義的性格をつくりだすのか」というところから、彼らは出発しています。そして資本主義社会における理性の道具化、腐蝕化(ふしょくか)を告発しています。

 ホルクハイマーは同年、1947年、『理性の腐蝕』を著しています。その中で、今日の産業文明(資本主義)における進歩的・技術的合理化によって理性が道具化したと見て、その理性を批判し、告発することこそ、今日の理性の最大の使命であると主張します。すなわち野蛮の源泉は、資本主義社会の腐蝕した理性にあるとして、真なる理性によって腐蝕した理性を告発しようと言うのです。

 アドルノによれば、腐食した理性が依拠しているのは、同一化、普遍化を目指す同一化原理であり、永遠性、普遍性の絶対的真理です。そこで彼は、永遠性、普遍性の真理を否定する「否定的批判の哲学」を提唱し、1966年に『否定弁証法』を著しています。

 結局、ホルクハイマーとアドルノによれば、理性自身の手で、より徹底した理性の自己批判を行い、真なる理性を取り戻すと言うのです。彼らは、自らの理性を真なるものとして、道具化した理性を批判すると言うのですが、果たして彼らの理性が真なるものか、その根拠は疑わしいものです。

 「統一思想」から見れば、理性の背後には善なる欲望、または悪なる欲望があります。善なる欲望は真(まこと)の愛に起因するものであり、悪なる欲望は偽りの愛に起因するものです。したがって理性は真の愛に基づいた理性でなければならないのです。そういう意味で理性は本来、真の愛の道具なのです。ゆえに、理性の次元で理性を批判しても、事態の解決にはなり得ません。また、永遠性、普遍性の真理を否定するということは、神の言に基づいた真理を否定することにほかなりません。

 フランクフルト学派は、その批判的精神のもとで、西ドイツの反戦・反政府の学生運動に理論的根拠を与えましたが、彼ら(ホルクハイマー、アドルノ)はかえって急進的な学生たちから、行動が伴わないと批判される結果になりました。

---

 次回は、「フランクフルト学派の群像~フロム」をお届けします。


◆『「性解放理論」を超えて』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ