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「性解放理論」を超えて(31)
階級闘争から文化闘争へ

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

四 フランクフルト学派を超えて
(一)階級闘争から文化闘争へ

 フランクフルト学派(Frankfurter Schule)はゲオルク・ルカーチ(Georg Lukács)、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsi)の理論をベースにマルクス主義を進化させ、これにフロイトの精神分析理論の融合を試みた学派です。20世紀前半に主流であったソ連型社会主義のスターリニズムとは一定の距離を置いて、新しい形のマルクス主義──西欧マルクス主義──を模索しました。

 ハンガリーのマルクス主義哲学者のルカーチは、プロレタリアートこそ歴史発展の主体であると期待しましたが、プロレタリアートの階級意識は、唯物史観の主張のように、下部構造に規定されて自然に発生するのではなく、プロレタリアートの意識的な能動性を必要とすると主張しました。すなわち、プロレタリアートは意識的な自己統制を行う自由な人間でなければならないと考えたのです。

 イタリア共産党の創立者であり、獄中から独自の思想を展開したグラムシは、プロレタリアートが従属的社会集団(サバルタン)としての受動性の鎖から解き放たれるためには、政治的・社会的・文化的に能動性の次元に高められなければならないと、説きました。すなわち、ヘゲモニー論的な「政治文化」の探究を行ったのです(※1)。

 ルカーチも、グラムシも、唯物史観の必然的な歴史法則に従って、社会革命が起きるのでなくて、プロレタリアートが知的・文化的に高まることの必要性を主張したのです。

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※1 松田博『グラムシ思想の探究』新泉社、200730

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 次回は、「フランクフルト学派の群像~ホルクハイマーとアドルノ」をお届けします。


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