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宣教開始、迫る迫害

(光言社『FAX-NEWS』通巻747号[2002年9月10日号]「四大聖人物語」より)

 『FAX-NEWS』で連載した「四大聖人物語」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

▲天使から啓示を受けるムハンマド(ウィキペディアより)

 マホメット(ムハンマド)が瞑想(めいそう)にふける日が続いたある日のこと、彼は圧倒されるような霊的体験をします。天使ガブリエルが現れ、マホメットにこう告げたのです。

 「私はアッラーの天使である。アッラーは、宇宙のすべてを支配する唯一の神であり、力と愛を備え、正義と慈悲を持つ。アッラーこそは、おまえが求めている神にほかならない。そして、おまえはアッラーの預言者であり、使徒である。アッラーの教えを広く人々に伝えなさい」

メッカの堕落を鋭く攻撃

 アッラーとは、「唯一の神」という意味のアラビア語です。イスラム教が登場する前のアラブ世界は多神教でしたが、アッラーは最高の神とされ、カーバ神殿の主(あるじ)とされていました。

 はじめのうちは、家族や友人など、少数の仲間だけにしかその啓示を伝えませんでしたが、最初の啓示が下ってから3年後、彼は人々に伝える使命を確信したとき、公然と宣教を始めるのです。

 マホメットは唯一神アッラーの全能を熱烈に繰り返し繰り返し宣言しました。アッラーは宇宙の創造者であり、最後の審判の日が来る。偶像などをあがめてはならないと命じ、礼拝を行うよう呼び掛けるものでした。そして、すべての者は自己の人生の行動に関し、神様に対して道義的責任を負う。メッカの人々の堕落を鋭く攻撃し、やがて来る審判の日には、誰もが生前の罪を裁かれるのだ、と警告しました。

 マホメットの教えに従う者がふえるにつれて、最初は嘲笑や挑発的な論争に過ぎなかったものが、メッカの支配者たちから次第に激しい敵意を受けるようになりました。619年、妻のハディージャとおじのターリブが相ついで死に、マホメットが完全に孤立すると、メッカを中心とした布教は非常に困難になりました。

 あるとき、300キロほど北にあるヤスブ(のちのメディナ)からカーバ神殿へお参りにきた巡礼者がマホメットの教えを聞いて感動したのです。ヤスリブは、オアシスの町です。ここは緑が茂り、人々はナツメヤシの栽培などで暮らしています。しかし、諸民族の争いが絶えず、それをユダヤ人にたくみに利用されていました。そこで、その巡礼者は、マホメットに調停者の役を願ったのです。

カーバ神殿の奪還目指す

 メッカでは迫害と圧迫がますますひどくなってきていたので、マホメットにとっても、ヤスブ行きは望むところでした。彼は信者70人を率いてヤスブへ向かおうとしますが、メッカとヤスブは敵対関係にあったので脱出は容易ではありません。マホメットの暗殺さえ企てました。

 メッカの反対する者たちに悟られないように小グループに分かれて脱出することにし、マホメットは最後にメッカを発ちます。マホメットは追手の目をくらますために、あるときは洞窟(どうくつ)に身をひそめ、あるときは盗賊に襲われて殺されそうになったり、水がなくて死にそうになったりしながら、622年の715日、ついにヤスブの南端に到着しました。

 まるで罪人のようにメッカを脱出したマホメットは、ここでは凱旋(がいせん)将軍のように華々しく迎えられました。神への絶対的信頼からわきでてくる彼の教えは、多くの人々の心をとらえ、部族間の争いも次第になくなっていきました。ヤスブは「預言者の町(アラビア語でメディナ・アンナビー)」といわれるようになるほど、マホメットを中心に目覚ましく進展し始めたのです。

 マホメットは、同じ一神教徒として、イスラムに先んじるユダヤ教徒との和合を願い、また味方につけるためにも、ユダヤ教徒と同じくエルサレムに向かって礼拝し、毎月10日には贖罪(しょくざい)の断食を行いました。しかし、やがてユダヤ教徒はマホメットを預言者と認めることを拒否し、両者の協力関係樹立は不可能だと悟ったマホメットは、祈りの方向をエルサレムからメッカに変えました。カーバは、なんといってもアラビア人のふるさとだからです。

 彼の目標は、アラビア全土の信仰の中心になるべきメッカのカーバ神殿を取り返すことでした。それはアラビア半島の統一を意味します。マホメットはまず、メディナを神中心の国家として統一するために法律を制定し、これによって、新しい国家建設の最初の基礎を築きます。

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 次回は、「一代でイスラム教国築く」をお届けします。