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新 堕落性の構造 26

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

8 自己中心からくる優柔不断

◉信仰あらば山をも移さん

 優柔不断とは、自分を守ることしか考えない、恐るべき自己中心の現れであることが判明しました。
 これを解決するには、神を不信して堕落したのですから、まず神に対する絶対的信仰を確立することが第一です。次に、自己中心になって堕落したのですから、自己を全体のために犠牲にするという道を通らなければなりません。そして、神の前に真の主体性を確立するということにより、本来の位置を回復できます。

 神がすべてを備えてくださることを確信するのは、なかなか大変なことです。しかし逆に、この確信さえできれば、いかなることも恐れず、大胆に決断し、実行することができます。どこかの総理大臣も決断と実行を売り物にしているようですが、神を中心にしなければ、「早とちりとやりっ放し」ということになりかねません。

 優柔不断な人は、犠牲を嫌がるからダメなのです。できるだけ損をせず、犠牲なしにうまくやろうと、人間的小細工に走るから大胆に決断できないのです。いろんな問題が起こっても、自分が犠牲になって引き受けるという心構えがあれば、恐れず決断できるはずです。世の中はそう甘くありません。資本を投じなければ利益もないような、犠牲なくして発展なしです。

 人間は堕落して、神とサタン両方の主人に仕えるようになったのですから、神のほうに帰るには、一方のサタンのほうを断ち切らなければなりません。今まで連なってきたものを切るのですから、犠牲が要求されるのは当然です。それを恐れたなら、神の恵みは与えられません。そして真の主体性を神の前に確立して、神の栄光を現さなくてはなりません。

 優柔不断は時間をロスするだけです。世の優柔不断、不決断の人々よ、それは堕落した結果の罪からくることをよく知ってください。決断力が弱ければ弱いほど罪が重く、神から遠いということです。そのことを神の前によく反省し、悔い改めてから出発し、神に信仰を立て、犠牲を喜んで受ける姿勢を確立すれば、優柔不断はあなたから消えていくのみです。

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 次回は、「偽悪は偽善の裏返し」をお届けします。


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