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新 堕落性の構造 27

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

9 二重生活の偽悪主義者

偽悪は偽善の裏返し
 「偽善」という言葉は嫌な響きをもっています。うわべを飾って実際以上に自分を良く見せようとするためです。イエス・キリストは、バイブルの中で、たびたび偽善者を非難しています。「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている」(マタイ6・2)。

 有名な「山上の垂訓」の中で、4回も偽善者をヤリ玉に挙げています。キリストとしては、神のひとり子として、救いをもって来たにもかかわらず、それに耳を傾けず、信仰者ぶっているユダヤ人は、偽善者以外の何者でもなかったのです。

 ところで、“偽悪という言葉があります。これは、自分を実際以上に悪く見せかけることです。よくサラリーマンなどの中に、自分の同僚に「自分は学生の時に酒を飲んでは大暴れをしたんだよ」とホラを吹いている人がいます。聞いているほうは、「ヘェー、そんなふうには見えないけどネ」と首をかしげていたりします。これなどは日常よく見かける偽悪の一種です。
 日本では、作家の太宰治がその傾向の強い人でした。また、太宰があこがれていたフランスの15世紀の詩人、フランソワ・ヴィヨンも、それを最大限に発揮した人でした。

 偽善と偽悪を比べれば、偽悪のほうが何となく罪が軽いように感じますが、自分を偽っているという点では、どちらも同じなのです。どちらも仮面をかぶっているのです。偽善というのはどちらかというと、政治家や財界人をはじめ、外向的な人間に多いように思えるのに反し、偽悪というのは、平凡なサラリーマンや学生、宗教人など、どちらかといえば内向的人間に多いようです。政治家の偽善というのは嫌味でついていけませんが、我が内なる偽悪も“自己主張”という点では偽善の裏返しなのです。

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 次回は、「仮面の下は臆病な魂」をお届けします。


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