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通いはじめる親子の心 2
親の姿を見て子供は育つ

 本書に出合った時からが子育ての新しい出発です。もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「通いはじめる親子の心」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

多田 聰夫・著

(光言社・刊『通いはじめる親子の心〜子供の気持ちに「共感」する』より)

第一章 子供は「育つ」もの

 文鮮明(ムンソンミョン)先生が解き明かされた「統一原理」は、神様の創造理想が、個人完成、家庭完成、理想世界実現、すなわち三大祝福の実現であることを明確に説いています。

 私たちは、神様を中心とした理想家庭を目指しています。文鮮明先生は、次のように言われています。

 「神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねてこられる家庭を築きなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心情で気楽に訪ねられる家庭を準備しなさいということです。それが、正に神様に侍って暮らす家庭です」(『平和神経』162ページ)

 「家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟がお互いに『ために生きる人生』の模範を見せるとき、許し難い過ちを犯したり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか」(同書、162ページ)

 神様が自由に出入りできる家庭こそ、私たちが目指す家庭であるということです。そして、文鮮明先生は、宇宙の根本原則は父子の因縁であり、親子の関係に照らし合わせれば解けない問題は何もないとも言われます。

 では、そのような家庭は、どのようにしてできるのでしょうか。

親の姿を見て子供は育つ

 私の子供が保育園に通っている時に、ある先生を保育園に招いて、父母のための勉強会が開かれました。かなり昔の話になってしまいますが、その時の話がとても印象的でしたので紹介します。

 「中学二年の男の子の家は下駄屋でした。夕食にお母さんが川魚の煮物を出してくれました。男の子は、魚が嫌いで、『魚は嫌いだ。ほかのおかずがほしい』とわがままを言うのです。母親が、『はい、はい』と言って、立ち上がろうとすると、父親が『魚を食べなさい』と強く息子に言いました。息子は、ふてくされて夕食を食べずに自分の部屋に行ってしまいました。

 息子は心が収まらず、『くそう、親父め』とイライラしたまま、ごろんと横になって天井を見上げました。すると、父親が早朝の四時半から起きて、一生懸命下駄を作る様子が浮かんできたのです。左右の下駄がしっかりと対になるように、履きやすいようにと、一生懸命働く父親の後ろ姿が、心に浮かんできました。いつも見ていた父親の後ろ姿を思い出したのです。

 その時、息子は、夕食の時にわがままを言ったことが申し訳なかったと、心が痛みました。そして、息子は台所に行き、嫌いだった川魚を思い切って食べたのです」

 父親が息子に言葉で教えたのではありません。父親の言葉は、かえって息子の反発を招いたのです。仕事に対する真摯(しんし)な態度、その後ろ姿が、息子の心を動かしたのです。

 文鮮明先生のみ言(ことば)に、次のようなものがあります。

 「父母が直接教えてくれるのではなく、学校で学ぶのでもありません。子女のために献身的に真の愛の一生を生きていく父母の姿を見て体得し、悟るのが子女の心情です」(『後天時代の生活信仰』83ページ)

 父母の献身的な愛の姿に、子供は学ぶのです。

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 次回は、「子供の反抗期は親がつくる」をお届けします。


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