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「性解放理論」を超えて(28)
マルクーゼの思想⑤~フロイトへの批判

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

三 フロイト左派を超えて
(二)マルクーゼ

(6)フロイトへの批判
 マルクーゼはフロイトの原父神話に対して、確認されない仮説と見ています(※50)。

 「ただし、それが一連の破局的な出来事を通じて、……これまで説明できなかった文明のさまざまな様相をあきらかにした、ということだけはみとめられる(※51)」として、原父神話が、人間が神を崇(あが)めるようになったこと、近親相姦(そうかん)を禁じるようになったことを説明した意義は認められるというのです。

 フロイトは、性欲それ自体は危険なものであるが、エロスに対しては、人と人を結びつける力であると言います。フロイトにおいて、エロスの本質は性欲であるのに、なぜそのようなことが言えるのかと、マルクーゼは疑問を提示しています。

 しかし、このように、性欲を、文明と「葛藤」する本質的に爆発的な力、と解釈することから、どうして、エロスを、「より大きな単位に生体を結びつける」努力、「より大きな単位を確立し、それを維持する、手短かにいえば、結びつける」努力として定義することが正当化されるのだろうか(※52)。

 結局フロイトは、「性欲は、人間の自由と幸福を生む源泉である(※53)」と主張して、西欧文明に対して、もっとも決定的な断罪を行うと同時に、「文明の発達は性の抑圧によってなされる」と主張して、西欧文明のもっとも強力な擁護にもなっていると、マルクーゼはフロイトを批判しました。
 そして、マルクーゼは抑圧されざる性欲によって文明は発達すると主張したのです。

 フロイトは本来、キリスト教封建道徳が性欲を抑圧するところから神経症が生じると主張していました。ところが後に、エゴでもって性欲を抑圧せよと言い、文化は性を抑圧するところから生まれると言いました。

 一方で、エロスに関しては、その本質は性欲(リビドー)──野蛮な排斥的な衝動──であると言いながら、エロスによって人と人を結びつけると言いました。マルクーゼは、ライヒと同様に、そのようなフロイトの矛盾性を指摘したのです。

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※5ハーバート・マルクーゼ『エロス的文明』(5051
51 同上
52 同上(36
53 同上(244

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 次回は、「マルクーゼの思想⑥~革命的反抗、ヒッピー文化の奨励」をお届けします。


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