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許しの愛を説くホセア

(光言社『FAXニュース』通巻766号[20021130日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 十二小預言書の最初に収められている書がホセア書です。このホセア書は、神様の許しの愛を説いていることで有名です。ホセアは北イスラエルで活躍した預言者で、彼の名はヘブライ語で「救い」を意味します。

妻ゴメル、ホセアの愛と忍耐を裏切る

 ホセアは神に仕える祭司の家の出身であるといわれるのですが、そんな功労を積んだ家系的背景とは裏腹に、家庭的にはとても辛い路程を通過しました。

 ホセアにはゴメルという妻がいました。ゴメルは不貞を働く女性であり、いつも外で遊び暮らしていたのです。そんなゴメルですが、しかし神様はホセアに対して「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ」(ホセア書12節)と言われるのです。

 ホセアは、その神様のみ言に従順に従いました。やがてゴメルは世間から相手にされなくなりますが、それでもホセアは変わらない心情姿勢をもって彼女と接するのです。それほどまでに深い夫の愛と忍耐を裏切って、とうとう彼女は夫と3人の子供を捨てて、放蕩(ほうとう)の生活に走ってしまいました。

 妻がいなくなった後も、ホセアは独りで3人の子供を養い育て、家庭を守っていきます。普通の人なら「神様、どうしてあんな女と一緒にしたのですか」といって呪ってしかるべきです。しかし彼はそうではありません。

 歳月が流れ、ホセアは風の便りにゴメルが女奴隷として身を持ち崩してしまったといううわさを聞きます。神様の声が再びホセアに下ります。「あなたは再び行って、…主がこれ(イスラエル)を愛せられるように、姦淫を行う女を愛せよ」(同31節)と。すると彼は旅に出て妻の行方を捜して歩くのです。なんというホセアの生き方でしょう。ついに彼は妻ゴメルを見つけます。

 彼はさっそく銀15シケル(約170グラム)と大麦1ホメル(約230リットル)を支払って妻を買い戻し、家に連れ帰ったのでした。彼は妻に対し次のように語ります。「あなたは長くわたしの所にとどまって、淫行をなさず、また他の人のものとなってはならない。…わたしもまた、あなたにそうしよう」(同33節)と。

▲バビロンからの帰還者たちがエルサレムの再復興を目指し、神殿の再建が始まる(ギュスターヴ・ドレ画)

不貞の妻にも神への誠意の姿勢で接す

 ホセアは、妻が働いた不貞に対し、むやみに責めるのではなく、神に対する誠意の姿勢をもって、妻にも接しようとするのです。その姿勢は、まるで姦淫の罪を犯して捕まえられた女を、イエス様が「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネによる福音書87節)とかばわれ、「わたしもあなたを罰しない。…今後はもう罪を犯さないように」(同811節)と言って許された姿と相通じる世界があります。

 ホセアは不貞の妻を見捨てず、かえって彼女を許して迎え入れますが、実は、その姿はイスラエルを見捨てずに不変の愛を貫かれた神様の姿でもあったのです。

 ホセア書は「いつくしみ」(219節)「愛情」(41節)と訳されたヘブライ語「ヘセド」という言葉がその主張のキーポイントとなっていますが、その言葉は誠実で変わらない「真の愛」を表すものです。

 結局、北イスラエルばかりでなく、南ユダまでもが不信仰に陥ってバビロン捕囚の身となりますが、それでも神様はイスラエル選民を見捨てられずに、時が満ちれば解放へと導き、さらにはエズラやネヘミヤを遣わしてまでもエルサレムを再復興されたのです。

 このような神様の許しの愛、またホセアが示した姿は、真のお父様がたどられた生涯路程の姿でもあります。お父様は迫害してくるキリスト教をどこまでも許され、そればかりか、かえってキリスト教の復興のために全精力を投入してこられました。

 お父様は神様の愛について次のように語っておられます。

 「サタンは一時的な愛を使って、自分の支配を続けようと思っています。一方、神様は、永遠の愛を私たちに与えようとされます。それは、私たちが永遠に受け継ぐことのできるものです。私たちが孤独な時はいつでも、神様が共にいてくださいます。私たちは、神様の許しの愛に対して感謝すべきです」(1997.2.13)と。

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 次回は、「苦難の道を行くヨブ」(最終回)をお届けします。