2022.04.10 17:00
苦難の道を行くヨブ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」(ヨブ記1章1節)と記されているように、ヨブは義人でした。彼は義人でありながら幾多の苦難を通過しました。もともとヨブは10人の子供に恵まれ、多くの財産を所有し、裕福な生活を送っていました。
襲いかかる不幸耐え抜くヨブ
ところがある日、サタンがやって来て神様に訴え出たのです。「神よ、あなたがヨブを恵まれるので、彼は神を敬い、謙虚に振る舞っているだけだ。彼の所有物を打てば、きっと彼はあなたをのろうだろう」と。
そこでサタンはヨブに災難を下し、ヨブは一瞬のうちにして財産と子供を全て失ってしまいました。しかし、ヨブは不平不満を言わず、むしろ地に伏して神様を拝し、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(同1章21節)と言うのです。
サタンのヨブへの攻撃は容赦なく続きます。サタンは神様に「人は自分の命のためなら、すべての物をも与える。今度はヨブの骨と肉とを打てば、彼は必ずあなたをのろうだろう」と要求します。たちまちヨブは全身に腫物(はれもの)ができて苦悩します。彼はあまりの苦しみに陶器の破片で身をかきむしりました。そして近くで見ていた妻でさえ、惨状を見かねて「神をのろって死になさい」と不平をあおる言葉を投げかけてきたのです。ところがヨブは「われわれは神から幸を受けるのだから、災をも、受けるべきではないか」と返答しました。私たちは本気で誰かを愛すれば、その人から良いものだけを受けようとはせず、かえって苦楽を共にしようとします。人に対してそうであるならば、神様に対してはなおさらのことです。ヨブは心底から神様のことを愛していたのです。彼は信仰を貫きました。
さて、ここまで不幸が相次ぐとそれを聞いたヨブの友達が次々と慰問にやって来ました。ところがその信仰の友がかえってヨブを苦しめることになるのです。
友人はヨブに言います。「考えてみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか。わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている」(同4章7~8節)のだと。ヨブに襲いかかった不幸を、彼らは因果応報の観点から論じ、ヨブを責めるのです。彼らの発想は、義人が打たれることがあり得ることを思ってもみません。どこまでもヨブに罪の悔い改めを迫るのでした。
お父様も同様にサタンから試練
実はヨブと同じ立場は、アブラハム、ヤコブ、モーセ、預言者、そしてイエス様が歩まれた道でもあったのです。神と共に歩む義人聖人のたどる道は、多かれ少なかれヨブと同じような立場を通過するに違いないのです。
ヨブをめぐる議論に対し、ついに神様はつむじ風の中から語られます。「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ」(同38章2節)と。ヨブは「わたしは…ただ手を口に当てるのみです」(同40章4節)と答えますが、ついに彼は全てを悟ったのです。イエス様がゲッセマネで「みこころが行われますように」と祈られたように、結局、私たちの行き着くべき信仰は、全てを神の御心(みこころ)に任せ、いばらの道をも感謝で越えていくことなのです。
真のお父様は次のように語っておられます。
「私の人生において、サタンのすべての…軍勢が私に反対しました。ちょうどヨブ記のように、サタンは神様に言いました。『彼が何でもできるのは神様あなたが彼を祝福したからです。私は彼からすべてを奪い取って彼を試すことを要求します。そのうえで彼がそんなに強いかどうかを見ましょう』。サタンはそのような要求を数回しました。そして神様は私を困難な状況に行かせなければなりませんでした。あなたがたもまた同じような試練を通過せねばなりません。しかしあなたがたの受ける反対は、私の経験したほんの一部分でしかありません。あなたは、神様が自分の側にいないと思い、神様はちっとも自分を助けてくれないと感じるでしょう。しかしあなたが耐え忍んでその状況を乗り越えた瞬間に、神様は豊かにあなたを祝福するでしょう」(1982.2.6)と。
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「シリーズ旧約聖書人物伝」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。