2022.03.28 22:00
「性解放理論」を超えて(26)
マルクーゼの思想③~非抑圧文明としてのエロス文明
人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
三 フロイト左派を超えて
(二)マルクーゼ
(3)非抑圧文明としてのエロス文明
フロイトは性を抑圧することによって文化が発達したと主張しましたが、マルクーゼはそのようなフロイトの見解に反して、性を解放した非抑圧文明であるエロス文明の到来を宣言しました。フロイトの文明は昇華の文明ですが、それはエロスを弱めるものであって、「エロスを弱めることで、破壊的な衝動を解放する。……文明は、自己破壊にむかっていく(※36)」と批判しました。
マルクーゼによれば、文化は、「その必要とする心的エネルギーの大部分を、性欲からもってくる(※37)」のであり、われわれはまず、「本能の抑圧──社会的に有用な労働──文明」としたフロイトの相関関係を、「本能の解放──社会的に有用な仕事──文明」の相関関係という意味に変えられることを示さなければならないと言うのです(※38)。
ポール・ロビンソンによれば、マルクーゼはフロイトによる文明と抑圧の等式が未完成であると断定しました。そしてフロイト思想に含まれた批判的傾向を、この傾向の悲観的・非歴史的な足かせから解放して、フロイトを、非抑圧的文明の到来を告知する20世紀の偉大な予言者の地位に就任させようとしたのです(※39)。それと同時に、マルクーゼ自身はアメリカのヒッピー文化の中で、あたかもメシヤのように崇(あが)められるようになったのです。
マルクーゼの言うエロス文明とは、フリーセックスのヒッピーの文化であり、ひいては性的倒錯のソドム・ゴモラの文化でしかありません。フロイトが言うように、文化は性を抑圧して築かれるのではなく、マルクーゼが言うように、性を解放して築かれるものでもありません。「統一思想」から見るとき、ロゴス(規範)に導かれた真(まこと)の愛によって、心情文化(愛の文化)が築かれるのです。
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※36 ハーバート・マルクーゼ、南博訳『エロス的文明』紀伊國屋書店、1958(73)
※37 同上(72)
※38 同上(140)
※39 ポール・ロビンソン『フロイト左派』(219)
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次回は、「マルクーゼの思想④~フリーセックスの奨励」をお届けします。