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スマホで立ち読み Vol.15
『生きた神様が働くとき』2

神明忠昭・著

(光言社・刊『ドクター神明の信仰エッセー 生きた神様が働くとき』より)

 スマホで立ち読み第15弾、ドクター神明の信仰エッセー『生きた神様が働くとき』を毎週土曜日(予定)にお届けします。
 UTS(米国統一神学大学院)の名誉総長である神明忠昭(しんみょうただあき)先生が、数々の試練を乗り越える中で出会った天の父母様(神様)と真の父母様の深い愛を証しします。困難の中でも生きて働かれる神様の愛を発見する秘訣(ひけつ)を教えてくれる一冊です。

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第一章 愛して、仕えて、一体化

1 自分を無にしたとき、お父様が干渉してくださった(1

 私は1977年に統一神学大学院であるUTS(ニューヨーク州バリータウン)を卒業しました。その後、他の大学でさらに神学の勉強を続け、1984年の春、無事に神学博士号を取得しました。その直後の6月末に、イーストガーデンに来るようにと真のお父様からお呼びがかかったのです。

 真のお父様は23週間後にダンベリー連邦刑務所(コネティカット州)に収監されることになっていて、イーストガーデンの中は緊張感が漂っていました。そのようなときに、お父様がわざわざ個人面接をしてくださり、結論として、「これからUTSで教鞭(きょうべん)を執るように」と言ってくださったのです。

 私はすぐに、当時のUTS総長(36家庭)に手紙を書いてその旨を伝えました。さらに、7月初めにその年のUTSの卒業式があったので、そこに参席するついでに自分のUTS人事のことを総長に確認しようと思い、出掛けたのです。その日のバリータウンの天気は快晴で、これから教会の公職者になる卒業生を祝っているようでした。

 ところが、卒業式が一段落したところで、廊下で総長にお会いし、お辞儀をして「これからよろしくお願いします」と切り出したところ、総長は、あたかもこの世に私の存在などありえないかのごとく、無言のうちに私に背を向けて、行ってしまわれたのです。私はだいぶ傷つきました。

 どうしようもないので、その日は静かにUTSを去ることにしました。周りは卒業式後の余韻でまだにぎやかだったのですが、こちらは心が重くてしかたがありません。UTSを去る前に、誰もいないサッカーフィールドの真ん中に立ち、少しだけ残っていた力を振り絞って、快晴の空を見上げながら神様に祈りました。

 「神様、UTSは決してこの私のものではありません。あなたのものです。ですから、誰か私よりもっと優れた人がいれば、その人をここに呼んで、教えてもらうようにしてください。そしてUTSを立派な神学校にしてください。UTSが立派になるのなら、何も私はここで教えなくてもいいのです」
 こう祈ると、涙があふれ出てきました。

 実は、総長は、UTSで私より一学年下の優秀な米国人兄弟をUTSに呼ぶことを考えておられたようでした。それで私は、その兄弟の成功のためにも祈りました。そのときの切ない祈りが時空を超えて神様と真のお父様に伝わったことは、あとで知りました。

 それからというもの、できる仕事は何でもやりました。ニューヨーク市で黒人の青年たちがよくやっていた低賃金の仕事もしました。教会ですぐに自分の責任分担が決まるわけではないので、妻と四人の幼い子供を抱えて、異郷の地で路頭に迷う可能性もあったからです。

 教会で献身的に歩み始めた頃は廃品回収や花売りをし、何でもこなして生き残る訓練をした身ではあります。しかし、み旨のために直接働けないことを悲しく思い、「本当はみ旨のためにやりたいのです」と神様に向かって叫びながら過ごしました。

(続く)

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 次回は、「自分を無にしたとき」をお届けします。お楽しみに!



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