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「性解放理論」を超えて(24)
マルクーゼの思想①~性の抑圧と資本主義

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

三 フロイト左派を超えて
(二)マルクーゼ

 ハーバート・マルクーゼ(Herbert Marcuse, 1898-1979)も、ライヒと同様、性の抑圧を取り除いてエロスを解放しようとしました。そしてマルクーゼは、エロスの開花した抑圧的でない文明を「エロス的文明」と呼び、その実現を目指したのです。

 マルクーゼの主張には、悪霊的な響きがあります。アラスデア・マッキンタイアー(Alasdair MacIntyre)は次のように言います。

 マルクーゼの主張は雲をつかむようである。……彼の教説の効果は呪文的、かつ非合理的であり、哲学的というより魔術のことばを用いているようである。……すなわち思想よりも刺激をよび起す大げさな言語のなかに記述された見せびらかしの秘薬を求める趣向がある。こうした言語の堕落にマルクーゼの散文は多大に寄与している(※30)。

 以下にマルクーゼの思想の要点と、それに対する「統一思想」の見解を述べます。

(1)性の抑圧と資本主義
 マルクーゼにおいても、ライヒと同様、資本主義は性の抑圧の機構でもありました。ポール・ロビンソンによれば、

 資本主義的機構では──とマルクーゼはいう──性愛は遊びの要素と自然さを剥奪されている。愛情は、一夫一婦制に忠実であれとのイデオロギーにより慎重に制限され、義務と習慣に矮小化(わいしょうか)されてしまった(※31)。

 マルクーゼはフロイトの言う原父の独裁により、人は性的快楽から締め出されたと見ていますが、マルクーゼによれば、その結果、人は労働の苦役へと向かわされたのです。ポール・ロビンソンは次のように言います。

 原父独裁のもっとも重要な意味は、息子たちが姉妹や母親に接近するのを排除したことだと見る点で、フロイトとマルクーゼは一致する。この性的孤立の経済的帰結は、息子たちを原始ホルド内での労働の苦役にむすびつける。性的快楽からしめだされた結果、かれらの本能エネルギーは快楽をともなわないが必要な活動にむけて「発散」される。こうして性抑圧の問題が経済的従属──それゆえ資本主義の発生──にむすびつけられる(※32)。

 マルクーゼによれば、労働は苦痛であり、快感原則の否定であり、労働の王国すなわち必然の王国は、不自由の王国でした。したがって、性的快楽を解放すれば、資本主義における、苦痛としての労働は否定され、資本主義は崩壊せざるを得ないのです。ポール・ロビンソンは、「あらゆる快楽の増大が、資本主義機構を継続してはたらかせるのに必要な規律と統制を破滅の淵(ふち)にまで追いこむであろう(※33)」と、マルクーゼの立場を解説しています。

 マルクーゼのスローガンは「愛しあい、戦争をなくそう(※34)」です。「愛しあおう」とは、フリーセックスの奨励であり、性を抑圧する一夫一婦制の資本主義機構を崩壊させようということです。「戦争をなくそう」という反戦の叫びは、自由主義陣営の武力行使をやめさせ、共産主義陣営の勝利に加担しようというものです。それはサタン側のカイン勢力が神側のアベル勢力を支配することを目指すものです。結局、家庭を破壊し、世界を支配しようとするサタン(悪魔)の働きが、マルクーゼの背後にあったのです。

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30 アラスデア・マッキンタイアー、金森誠也(まさや)訳『マルクーゼ』新潮社、1971129
31 ポール・ロビンソン『フロイト左派』(192
32 同上(211
33 同上(193
34 同上(245

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 次回は、「マルクーゼの思想②~エロスとタナトス」をお届けします。


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