2022.02.27 17:00
神の幻を見たエゼキエル
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
エゼキエルは、パレスチナ以外の地で活躍した最初の預言者です。彼は捕囚の地バビロニアで神の召命を受けますが、神の律法を順守すべきことを強く訴え、ユダヤ教の確立に大きな影響を及ぼしたことから、しばしば「ユダヤ教の父」と呼ばれています。エゼキエルの名は「神が強めてくださる」という意味です。
バビロンで召命受けユダヤ教確立に影響
紀元前597年、第1次バビロン捕囚が起こります。エゼキエルはその時南朝ユダのエホヤキン王と共に捕虜としてバビロンへ連行されます。その5年後に神の召命を受け、約20年預言活動をしました。彼が召命を受けた時、南朝ユダはゼデキヤ王の時代で、預言者エレミヤが悲しみの心情をもって預言していた時でした。
異郷の地バビロンに強制連行されたユダの民には、限りない郷愁の思いがありました。詩篇137篇は、彼らがエルサレムを思い起こしながらうたった詩です。「われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。…われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、『われらにシオンの歌を一つうたえ』と言った。われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください…」と。
不信仰の罪で、バビロン捕囚の憂き目に遭ったユダの民たちですが、しかしそれでも神は彼らを見捨てず、再び選民としての信仰を確立させるために、預言者エゼキエルを召命されたのです。
エゼキエルはケバル川のほとりで神の幻を見ます。それは、激しい風と大いなる雲が火を発するという壮大な情景でした。以来、彼は数々の幻を見ます。彼の預言は大きく三つに分けられます。エゼキエル書1から24章では、エルサレムに残った民は偽預言者にだまされエジプトを頼っているが、エルサレムは滅亡する。25から32章では、エルサレム崩壊に関与したアンモンやエドムなどの諸国は滅亡の運命にある。33から48章では、エルサレムの回復について述べ、再建される理想国家の見取り図および神殿や祭祀(さいし)についての預言をしています。
意気消沈する民の心を励ます
これらのエゼキエルの預言はバビロンの地で意気消沈しているユダの民の心をどれほど励ましたことでしょうか。特に37章の「枯れた骨の復活」の幻は民の心を勇気付けました。エゼキエルが谷間に行くと、枯れ果てた骨が無数に散らばっています。すると「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。…わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」という神の声があり、彼が預言をすると、骨が動き出し、肉と皮が生じて、大いなる群衆となりました。神の息が吹き込まれると、枯れた骨でさえよみがえってしまうのです。神は捕囚のイスラエルを見捨てずに、慈愛の心情をもって再び生かしてくださるというのです。
今日の真のお父様の摂理においても神の慈愛を見ることができます。第二イスラエルのキリスト教が不信してもとりなし、アメリカ復興のため全精力を傾けてこられました。また第三イスラエルの統一教会の歩みが不足であっても、生かして用いてくださっているのです。
エゼキエルの預言には「新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。わたしは何人(なんぴと)の死をも喜ばない…翻(ひるがえ)って生きよ」(エゼキエル書18章31~32節)とあります。
お父様も次のように語っておられます。
「先生の目標は神の世界を確立することです。ですから…生死の境を彷徨(ほうこう)している米国を心配しないわけにはいきません。レバレンド・ムーンほどこのことを心配している者はいないのです。皆さんは、ただじっと座って何か良いことが起こるのを待っているのですか。仕事に取り掛からねばなりません。皆さんは、エゼキエル書に言うような『死の谷間の骸骨』のような存在ですか、それとも、筋骨たくましく神の戦いを闘う存在ですか。ただ単に口で言うだけでなく、実行によって、何ができるかを先生に見せなさい」(1984.1.15)と。
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次回は、「異国の王を感化したダニエル」をお届けします。