2022.02.20 17:00
涙の預言者エレミヤ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
イスラエル史において預言者が集中して現れた時期が二つあります。一つはイザヤ、アモス、ホセア、ミカが活躍した紀元前8世紀。もう一つはエレミヤ、ゼパニヤ、ナホム、ハバクク、エゼキエルらが活躍した同6世紀です。これら二つの時期は北イスラエルの滅亡(BC721)および南ユダの滅亡(BC587)と重なり合っています。
南ユダの不信仰に強い警告
『原理講論』に「南北王朝分立時代において、イスラエル民族が、神殿理想に相反(あいはん)する立場に立つたびに、神は…四大預言者と十二小預言者を遣わされ…内的な刷新運動を起こされた」(477ページ)とあるように、預言者が集中している事実は、神がいかに必死にイスラエルを救おうとしておられたのかを如実に物語っています。
さて、北イスラエルの滅亡から100年後、南ユダ最後の善良な王であったヨシヤ王の治世に、祭司の息子だったエレミヤが、弱冠20歳の若さで神の召命を受けます。彼は約50年にわたって預言者活動を行いました。ヨシヤ王は信仰刷新のために大改革をしますが、しかし、志半ばに、エジプト王パロ・ネコとの戦いで戦死します。ヨシヤ王の死後、南ユダには悪王が続き、預言者エレミヤの活動は困難を極めました。
当時、アッシリア、バビロニア、エジプトの3国が世界制覇を狙って三つどもえの争いをしていましたが、バビロニアが勢力を増し、かつて北イスラエルを滅ぼしたアッシリアを打ち破って(BC607)、その脅威が南ユダにも襲い掛かろうとしていました。にもかかわらず南ユダは不信仰の極みに達し、悔い改めることをしません。
エレミヤは「あなたの子どもらは、わたしを捨てさり、神でもないものをさして誓った…彼らは姦淫を行い、遊女の家に群れ集まった。彼らは…隣の妻を慕う」(エレミヤ書5章7~8節)と、神の嘆きを語ります。また「ユダの…人々よ、あなたがたは自ら割礼を行って、主に属するものとなり、自分の心の前の皮を取り去れ。さもないと、あなたがたの悪しき行いのためにわたしの怒りが火のように発して燃え、これを消す者はない」(同4章4節)と警告を発します。
現在にも亡国の兆し、お父様も涙の人
それでも悔い改めない民を前に、エレミヤの預言は滅亡の警告となっていきます。
「この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そして…70年の間バビロンの王に仕える」(同25章11節)と。エレミヤは、悪徳に身を置き続ける民に、押し迫りつつある南ユダの滅亡を語り、涙にむせぶ日々を過ごしました。エルサレムの北壁の外側には「エレミヤの洞窟」と呼ばれる場所があり、ユダヤの伝承によると、エレミヤは泣くためにそこへ退き、悲しみの哀歌をつづったといわれます。その洞窟は、後にイエス様が十字架につけられたゴルゴタの丘と同じ丘の中腹にあります。彼はイエス様が十字架で亡くなられるその同じ場所で、先駆けて神の悲しみを思い、声を上げて泣いたのでした。「わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される」(哀歌2章11節)と。
しかしエレミヤの預言もむなしく、民はそれに耳を傾けず、かえって彼をあざけりました。そして王侯に仕える偽預言者、既存の宗教家、為政者らからは売国奴の汚名を着せられて、幾度も投獄の憂き目に遭いました(エレミヤ書20章2節、同37章16節、同38章6節)。
ついに国家滅亡の時が来ました。エルサレムは攻め落とされ、王をはじめ多くの民がバビロンへ引かれていきました。70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。エレミヤも捕虜の1人として引かれていきますが、途中で釈放されます(同40章1節)。彼はその後エジプトへ行き、そこで石で打たれて殉教したと伝えられています。
現代はエレミヤの時代と同じように、さまざまな問題を抱え、亡国の兆しが見えています。その中で神のみ言を語り、悔い改めを迫る真のお父様もまたエレミヤと同じ涙の人であると言えます。その姿はみ旨のため幾度も投獄されたエレミヤのようであり、また十字架の道を余儀なくされたイエス様のようだとも言えます。私たちは南ユダとは違って、神の声に謙虚に耳を傾ける者とならなくてはいけません。
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次回は、「神の幻を見たエゼキエル」をお届けします。