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神を代弁したイザヤ

(光言社『FAXニュース』通巻719号[2002年4月25日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 『原理講論』に「南北王朝分立時代において、イスラエル民族が、神殿理想に相反(あいはん)する立場に立つたびに、神は…四大預言者と十二小預言者を遣わされて、彼らを励まし、内的な刷新運動を起こされた」(477ページ)とあるように、イスラエルの信仰が衰退した時、神様は預言者を遣わして信仰を立て直そうとされました。

南朝ユダで神の召命受ける

 しかし民は預言者の声に耳を貸さず、かえって彼らを迫害したのです。イエス様は「預言者たちも、同じように迫害された」(マタイによる福音書512節)と語られましたが、南朝ユダに遣わされた預言者イザヤも殉教の死を遂げた1人でした。聖書は殉教の書といわれます。聖書が記された背景には、実に多くの血が流されているのです。

 イスラエルが南北王朝に分立されてから約200年後、預言者が叫ぶ声もむなしく、北朝イスラエルの信仰は崩壊し、滅亡の時が刻一刻と近づいていました。イザヤはそのころ南朝ユダにおいて神の召命を受けます。

 ユダヤのラビ伝承によると、イザヤは南朝のウジヤ王のいとこで、王室の血筋を引く人物だったといわれています。彼は学問にも秀で、預言の書以外に歴史書を書き著しています(歴代志下2622節、同3232節)。

 イザヤは神殿で礼拝し、国の将来を憂えている時、天使が空中を飛び交い「聖なるかな…万軍の主、その栄光は全地に満つ」と呼ばわるのを見ました。また彼は「わたしは子を養い育てた…。牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」(イザヤ書113節)という神の嘆く声も聞きました。その時イザヤはイスラエルが長き歴史にわたって常に神のみ言に対して不忠実であったことを思い起こし、罪を悔いたに違いありません。

 その不信仰な民に対し、なおも神様は「わたしはだれをつかわそうか…」と語り、心を砕かれる姿を見た時、イザヤは即座に「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」と答えました。彼は、真のお父様と同様に、親なる神の切ない心情をくみ取ったのです。

 やがて北朝イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、南朝ユダにもその脅威が迫ってきました。それでも民は神により頼もうとせず、エジプトに政治的に頼ろうとするのを見た時、イザヤは民に信仰の悔い改めを迫ります。

▲バビロン滅亡の預言を受けるイザヤ(ギュスターヴ・ドレ画)

復帰摂理解くカギを残す

 イザヤは衣服を脱ぎ、「悔い改めなければこの姿のようになるだろう」と警告を発し、裸、はだしの惨めな姿をさらしてイスラエル中を巡り歩き、3年間を過ごしました(イザヤ書202節)。王室の血筋を引き、学問に秀でたイザヤが、なぜ乞食(こじき)のような格好をし、愚者のように振る舞ったのでしょうか。それは神様の事情圏を共有し、民を何とか導きたいと切望したからです。

 イザヤは、裁きの神の印象が強い旧約時代にあって、愛の神を次のように語っています。「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」(イザヤ書464節)、「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」(同4915節)、「あなたがたは乳を飲み、腰に負われ、ひざの上であやされる。母のその子を慰めるように…」(同6612節)と。

 イザヤの記したみ言は、新約聖書や『原理講論』に多く引用されています。イザヤは神の復帰摂理を解く上で重要な鍵となるみ言を数多く残しました。

 裏切られても、裏切られても、それでも預言者を遣わして救いの御手(みて)を差し伸べられる神様。旧約聖書には16の預言書がありますが、その文書量の多さは、私たちの救済を決して諦めることのない神様のご心情を雄弁に物語っているものです。

 神の声を代弁した預言者イザヤは、マナセ王の治世にのこぎりで引かれ、殉教したと伝えられています。

 イエス様も十字架の道を歩まれ、ご父母様も苦難の路程を歩まれました。イザヤはそのような苦難の道を神様と共に先駆けて歩んだ預言者でした。

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 次回は、「涙の預言者エレミヤ」をお届けします。